ここから本文です

船舶の見込み生産で巨利 もうけを美術品コレクションへ 松方幸次郎(中)

2017/12/4(月) 13:01配信 有料

THE PAGE

船舶の見込み生産で巨利 もうけを美術品コレクションへ 松方幸次郎(中)

川崎造船所の創始者川崎正蔵(左)、(鉄鋼飢饉)で共同戦線を張った金子直吉(右、『夜明けの人びと』朝日新聞神戸支局編)

(この記事は、2016年09月23日に月額有料サービスで配信した記事の再掲載です)
 川崎造船所初代社長・松方幸次郎は、第1次世界大戦での需要を見越し、当時標準的な貨物船とされていたストックボートを建造し、欧州で販売しました。一方、欧州の美術品を買い集めていたことも知られていますが、海外に流出していた価値ある浮世絵の里帰りにも貢献しました。大戦バブルの最中、世界を相手に松方はどのような投資戦略に出たのでしょうか? 市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。

  
  造ったそばから売れて、値が上がるストックボート

 川崎造船所初代社長・松方幸次郎が欧州大戦中の英国・ロンドンに出掛けるのは大正5年のことだ。“華麗なる欧州行脚”として語り草になっているが、美術品の買い付けが目的ではなく、ストックボートの宣伝、売り込みと世界大戦の行方を探るためであった。

 松方が造ったストックボートは合計96隻にのぼるが、船舶不足の欧米からは買い手が殺到した。だが、大戦後の反動の恐ろしさを熟知する松方は全社員に向かって進軍ラッパを吹き鳴らしながらも、どこで退却するか、そのタイミングを見計らっていた。

 しかし、進水した船がその日のうちに値上がりし、建造費が1トン当たり60円の船が400円の高値を呼ぶのだから笑いが止まらない。反動の恐さなどつい忘れ勝ちとなる。古来、バブルはその渦中にある間は自覚することができない性質のものである。夢がさめて初めてそれがバブルであったのかと気付くのだ。

 ロンドンで川崎造船所の船舶の売り込みを担当するのは鈴木商店のロンドン支店長高畑誠一である。高畑が「売り時じゃないですか」と持ち掛けても、松方は「いや待て、戦争は長引く。待てば、待つほど高くなる」と売り渋る。高畑も名うての勝負度胸の良さで知られているが、松方は高畑以上に楽観派であり、強気の人であった。

 2人の勝負師はツーといえばカーの間柄となる。1917(大正6)年、日本で進水した船舶の37.7%を川崎造船所が占めた。ストックボートの威力を見せつけた。このころ川崎造船所の従業員は2万1000人に膨れ上がる。松方が川崎造船所を引き受けた時は600人だったから、20年間で35倍に増加した。ドイツ軍の潜水艦(Uボート)が無差別攻撃を仕掛けるようになると、川崎造船所は3交代でフル操業体制をとるが、それでも需要に追い付かない。
   本文:2,245文字 写真:2枚

続きをお読みいただくには、記事の購入が必要です。

すでに購入済みの方はログインしてください。

  • 税込108
    使えます

サービスの概要を必ずお読みいただき、同意の上ご購入ください。 購入後に記事が表示されない場合はページを再度読み込んでください。 購入した記事は購読一覧で確認できます。

最終更新:10/2(火) 16:35
THE PAGE