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【決断】ハム飯山 引退試合でも職人貫く 栗山監督のサプライズ起用案も拒否

12/4(月) 9:00配信

スポニチアネックス

 引退か、退団して現役続行か…。球団はコーチのポストを用意している。8月末に転身の打診を受けた日本ハム・飯山は2週間以上も悩んだ。現役への未練。「たぶん(引退を)反対してくれるだろう」。淡い期待を胸に「俺、引退しようと思う」と愛妻に告げた。すると返事は「分かりました」。拍子抜けしたがスッと落ちるものがあった。9月15日、引退会見を行った。

 その後、もうひとつの決断があった。球団から引退試合の開催を打診されたが、強く固辞。「消化試合でも現役をやめる人間がグラウンドに立つのは失礼」が理由だった。九州・鹿児島生まれの頑固者。周囲の説得にも首を縦に振らなかったが、最後は栗山監督が「出馬」して渋々承諾した。

 引退試合となった10月3日のオリックス戦の数日前には、指揮官から「スタメンで1回ずつ、内野の全てのポジションを守らないか?」とユーティリティー選手の最後を飾るにふさわしい起用法の提案を受けた。ところが、これも「いつも通り、守備固めでお願いします」と即答。当日、栗山監督は「いろいろなことがあったけど、最後まで裕志らしかったよ」と感慨深げに語っていた。

 プロで、日本ハムで過ごした20年。初安打は8年目の05年、現役唯一の本塁打は13年目の10年に記録した。200打席に達したシーズンは一度もない。レギュラーに定着できなかったが、「守備の職人」として地位を築き、東京時代の低迷期からチームを支え続けた。

 そんな男に「野球の神様」はご褒美を与えた。チームが本拠地を北海道に移転した04年以降に5度の優勝を経験。12年10月31日の巨人との日本シリーズ第4戦ではサヨナラ安打も放った。そして引退試合では、9回2死で大城の打球が途中出場で遊撃を守っていた飯山のところへ。百戦錬磨のベテランも「現役20年で一番緊張した」と振り返る。プロ入りから淡々と守備をこなしてきた男が、最後の一塁送球を終えると顔を紅潮させて吠えた。

 来季から2軍内野守備コーチとしてチームを支える。「今まで自分のことだけ考えていた。これからは選手が第一。理想のコーチ像はない。自分なりに頑張りたい」。真摯(しんし)に野球と向き合った20年。立場は変わってもスタイルは変わらない。 (山田 忠範)

 ◆飯山 裕志(いいやま・ゆうじ)1979年(昭54)7月13日、鹿児島県生まれの38歳。れいめいでは1年秋に明治神宮大会に出場。3年時には県高校選抜で中国、上海遠征も経験。97年ドラフト4位で入団。今季までのプロ20年間の通算成績は911試合で打率.202、1本塁打、45打点。1メートル78、78キロ、右投げ右打ち。