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<京都・恭仁宮>大極殿院は縦長だった 直前の平城宮を継承

12/5(火) 22:50配信

毎日新聞

 京都府教委は5日、奈良時代の都「恭仁(くに)宮」の中心施設「大極殿院(だいごくでんいん)」(京都府木津川市)が、直前の平城宮(奈良市)の第1次大極殿院と同様、南北に長い長方形だったことが分かったと発表した。この後に再び遷都された平城宮の第2次大極殿院では東西に長い長方形となっており、府教委の担当者は「宮の成り立ちを知る上で貴重な成果」としている。

 恭仁京は聖武天皇が平城京から740年に遷都したが、わずか4年で廃都となった。都はその後、難波宮(なにわのみや)などを経て、745年から再び平城京に戻った。

 一方、大極殿院は、外国の使節を迎えるなど重要な儀礼が行われた施設。平城宮の第1次大極殿院では縦に細い長方形と判明していたが、恭仁宮では南側の範囲が明らかになっていなかった。

 ところが今回、南側に隣接している「朝堂院(ちょうどういん)」の北端とみられる柱穴跡を確認。大極殿院の規模を東西約145メートル、南北約215メートルと、第1次大極殿院と似た縦長の形で5分の3程度の大きさだったと推定した。更に小規模で、横長だった第2次大極殿院とは大きく異なっている。

 府教委によると、続日本紀やこれまでの発掘調査などから、聖武天皇は第1次大極殿を恭仁宮に移築したことが分かっている。井上和人(かずと)・元奈良文化財研究所副所長は「大極殿院の役割が、平城宮から恭仁宮に引き継がれていることがうかがわれ、当時の政治状況などを知る貴重な発見だ。なぜ恭仁宮に遷都されたのかを明らかにする契機になるかもしれない」と話している。

 現地説明会は9日午後1時半から。【桑田潔】

最終更新:12/6(水) 0:14
毎日新聞