ここから本文です

【決断】育成コーチ就任のオリ川端 真摯な姿勢で選手と向き合う「勉強しないと」

12/6(水) 9:30配信

スポニチアネックス

 ◇オリックス・川端崇義外野手(32)

 11月26日、京セラドームでのファン感謝イベント。6年間着用した背番号46のユニホーム姿で仲間から胴上げされたオリックス・川端は、顔をくしゃくしゃにして照れた。現役に未練はあったが、チームに貢献できないことで、自身の引き際を悟った。

 「今季ダメだったら、もうダメだろうなという思いで必死に練習してきた。今年は一層その気持ちが強かったです」

 26歳の時にドラフト指名されプロ入り。即戦力として1年目に開幕1軍をつかむと125試合に出場し114安打を放った。5月19日ヤクルト戦で延長11回2死満塁から走者一掃の決勝二塁打を放つと、同22日の阪神戦ではメッセンジャーから決勝本塁打。勝負強さも示した。

 展望が開けたはずだった2年目に暗転した。短期間で2度の頭部死球を受けた影響で打撃不振に陥った。13年4月29日の日本ハム戦では中村のカット系が、5月9日ソフトバンク戦ではファルケンボーグの直球が、ともに直撃。小学3年で野球を始めて以降、初の経験で野球が危険と隣り合わせだと実感した。この年は74試合出場にとどまり、以降も徐々に出場機会が減っていった。

 「自分では何とも思っていなかった。打撃不振の理由を頭部死球のせいにしたくなかった。でも、周囲から“打席で逃げているぞ”と。野球って怖いですよね」

 試行錯誤の6年で特にバットは何度も替えた。1年目は890グラムの細めを使用した。2年目以降はパワー投手に対抗するため910グラムを使ったが、逆に持ち味のコンパクトな打撃が薄れた。今季は1年目の形状に戻すなど最後まで模索した。真面目な人柄で周囲も認める練習の虫だが、その練習量が皮肉にも自身を追い込んだ。8月に右ふくらはぎから腰にかけ広範囲で鈍痛を感じ最後まで痛みは引かなかった。

 球団から育成コーチ就任を打診された際、相談したJR東日本・堀井哲也監督からは「今まで以上に勉強しないといけない」と指導者の難しさを教えられた。大阪・舞洲の2軍施設では連日、日暮れまで若手に寄り添う。「選手にはさまざまなタイプがいて、選手に合った内容を伝えることが大事。僕自身が、たくさん勉強しないと」。恩師の言葉を肝に銘じ、真摯(しんし)に向き合う真面目な姿勢は変わらない。 (湯澤 涼)

 ◆川端 崇義(かわばた・たかよし)1985年(昭60)2月4日生まれ、静岡県出身の32歳。東海大相模から国際武道大を経てJR東日本へ進み、11年ドラフト8位でオリックス入団。12年は125試合に出場し球団新人ではドラフト制以降3人目の100安打超えとなる114安打を記録。1メートル76、80キロ、右投げ右打ち。