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<ガダルカナル戦>日本軍将校の報告書と短歌、見つかる

12/8(金) 7:45配信

毎日新聞

 第二次世界大戦の激戦地となった太平洋・ソロモン諸島、ガダルカナル島の戦いの日々を伝える日本軍将校の報告書と短歌が、松山市内の男性宅で見つかった。「誰(た)がつけし餓島の名こそふさはしや散り逝(ユ)く将兵(ヘイ)の数に驚く」「餓死すとも守地は離れじ最後まで日の本武士の意気を示さん」など、軍人同士ゆえ検閲を気にすることなく記された凄惨(せいさん)な戦場の実像が伝わってくる。戦闘から75年、敗戦への分水嶺(ぶんすいれい)ともなった戦いの実情を伝える1次資料だ。

 愛媛県嘱託職員の久保慎一さん(64)が、2015年に亡くなった母親の遺品を整理していたところ、小ぶりの封筒(縦14.5センチ、横9.5センチ)に、報告書2枚と約40の短歌や俳句、漢詩が書かれた薄紙4枚が収められていた。

 宛名書きなどから、1942年12月に道路整備などのために先発して島に上陸した馬場喜八大佐(1892~1975年)が島の北西約550キロのショートランド島にいた第4工兵隊司令官、西原八三郎少将(1890~1969年)へ送ったものとみられる。

 報告書は43年1月5日付。撤退直前だったが、馬場大佐は道路整備に着手できていないことなどを伝え、別紙に短歌を記した。

 「君知るや飢に震へる身を支へ守りを固む将兵(ツハモノ)の意気」「日に月にやせ細りつゝ散って逝(ゆ)く友の行末聞くぞいたまし」「二十里を背(セナ)に擔ふて糧運ぶ兵の労苦に涙こぼるゝ」。「餓島」と呼ばれた島での苦難が伝わってくる。

 報告書と短歌は久保さんの母親が、西原少将の妻と親戚だった縁で伝わったとみられる。一橋大の吉田裕教授(日本近現代軍事史)は「短歌を添付した報告書はあまり聞いたことがない。現地で詠まれた歌には生々しさがある。報告書であからさまに悲惨な状況を述べられないので、歌で上官に訴えたかったのだろうと思う」と話している。【広瀬登】

 【ことば】ガダルカナル島の戦い

 太平洋・ソロモン諸島ガダルカナル島で日本軍が建設中だった飛行場を奪うため、米軍が1942年8月7日に上陸して始まった戦い。日本軍は補給に苦しみ約2万人が戦死。うち3分の2が餓死または戦病死したとされる。日本軍は43年2月上旬に撤退した。

最終更新:12/8(金) 17:54
毎日新聞