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家族3人殺害、奥本死刑囚が手記「この世との縁が無くなっても償いを続けたい」…死刑確定から3年

2017/12/10(日) 8:04配信

弁護士ドットコム

2009年5月に裁判員制度がスタートし、8年半が過ぎた。この間、裁判員裁判で宣告された死刑判決が確定した者は16人。そのうち3人はすでに死刑を執行され、残りの13人が現在、死刑確定者として全国各地の拘置所・拘置支所で収容されている。

その中の1人で、死刑が確定して3年になる宮崎市の元建設会社社員・奥本章寛死刑囚(29・福岡県豊前市出身)が手記を寄せ、現在の生活や思いを明かした。(ルポライター・片岡健)

●死刑執行を意識した記述も

奥本死刑囚は2010年3月に宮崎市の自宅で同居していた義母(妻の母)、妻、長男を殺害する事件を起こし、同年12月7日、宮崎地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けた。その後、控訴、上告も棄却され、2014年11月に死刑が確定した。

裁判の認定では、奥本死刑囚が犯行に及んだ動機は、家庭内の様々な問題に起因するストレスなどだとされた。裁判中に受けた心理鑑定によると、慢性的な睡眠不足のため、犯行時には視野狭窄、意識狭窄の状態に陥り、冷静な思考や行動ができなくなっていたという。こうした経緯に同情した人が多数集まり、裁判中から減刑を求める支援活動を展開。その様子がテレビや新聞で報道され、注目を集めた。

弁護人は今年3月、「生きて償って欲しい」と減刑を求める被害者遺族の男性の上申書を「新証拠」として宮崎地裁に再審を請求。しかし9月には、「量刑に関する情状は再審の理由にあたらない」として請求を棄却されていた。現在は福岡高裁宮崎支部に即時抗告している。

そんな奥本死刑囚が11月に寄せた手記は、便せん7枚で約2500字という分量。黒いボールペンで書かれていたが、書き直しや誤字、脱字は一切なかった。事件の経緯を振り返りながら現在の生活や思いを綴った内容となっているが、「この世との縁が無くなっても償いを続けたい」と死刑執行を意識していることが窺える記述もあった。

以下、手記の全文を掲載する。

※掲載にあたって、表記の統一をはかった部分や、弁護士ドットコムニュースの基準に沿って表記を改めた部分があります。

●奥本章寛死刑囚の手記全文

私は現在、福岡拘置所に拘置されていまして、死刑の執行を待つ身です。

裁判員裁判(宮崎地方裁判所)での死刑判決が2010(平成22)年12月7日、控訴審(福岡高等裁判所宮崎支部)の同判決(控訴棄却)が2012年(同24)年3月22日、上告審(最高裁判所)の同判決(上告棄却)が2014(同26)年10月16日(判決訂正申立ての棄却が11月5日)です。そして、死刑確定の告知が11月18日で、告知後から確定処遇に入りました。

私が死刑確定者になったのは、2010年3月1日早朝(私は当時22歳)、同居していた義母(同50歳)と妻(同24歳)、長男(同生後5ケ月)の3名を自宅で殺害したからです。

家族3名を殺害した動機は、義母との生活から逃れたかったという自己中心的で身勝手極まりないものでした。生後6ケ月直前の寝返りが打てるようになった息子を、育児に家事に懸命だった妻を、本当に家族思いだった義母を殺害する理由はどこにもありませんでした。

家族3名の殺害という重大な結果となったのは、ひとえに私が無知で未熟者、愚か者であったためだと思っています。事件のことはもちろんですが、さまざまなことを今も悔み続けています。被害者には心の底から申し訳なく思っています。そして、御遺族の皆様にも大変申し訳ないと思っております。どんなにお詫び申し上げてもお詫びし尽くせません。

家族3名を殺害した後の生活のことは、殺害を考え始めて(事件の数日前)からはまったく考えていませんでした。それ以前には、妻ともし離婚した場合の生活のことは何度も考えたことがあります。妻と離婚し独りになったら、慰謝料と養育費をきちんと支払うために、私と妻の借金をきちんと返済するために、生活費を稼ぐために働いて働いて、働きまくろうと漠然と考えていました。同時に一緒に仕事をしていた独身の同僚達が話してくれた、思わず羨ましいと思ってしまった話は私には無縁の生活だとも考えていました。

私が信仰しているのは浄土真宗です。毎日、朝夕のお勤めをし、写経・書写をしています。そして、一日に何度も称名をしています。写経・書写は、さまざまなことの後悔の気持ち、謝罪の気持ちで行なっています。それらの時間は、毎日の生活の中で特に大切な時間となっています。命あるかぎり続けます。

毎日、被害者に手を合わせ、謝罪しています。一日に何度も被害者の名を口にしています。何にもならないかもしれませんが、これも続けます。

私が逮捕されたのは、事件翌日(3月2日)のまだ日が昇らない時間でした。その後、留置場に入れられ、刑事施設内での生活が始まりました。留置場には4ケ月程居まして、7月を過ぎてから宮崎刑務所に移送されました。宮崎刑務所内にある拘置棟での生活は死刑が確定するまで続きまして(約4年4ケ月)、2014年11月26日に福岡拘置所に移送されました。

現在、生活している部屋は監視カメラ付きの単独室で(留置場と宮崎刑務所でも同じ)、広さは約4畳です。畳は3枚で、残りの1畳程度のスペースに向かい合う形で水洗トイレと洗面台が設置されています。一人で生活するには充分な広さだと思っていまして、電気は蛍光灯が2本で、外からの自然光もあるので明るさも充分です。

部屋には机(縦40×横60×高さ37・5cm)が1脚あり、この机で朝・昼・夕の食事(受刑者1名が配食)をし、書き物をします。私は平日、自己契約作業(紙袋製作)をしていまして、作業もその机で行ないます。

作業で稼いだお金(月に5千円前後)は慰謝料の足しにし、菩提寺へのお布施代にしています。現在、御遺族のお一人に慰謝料をお支払いしていますが、その作業金を含めてもとても少額です。

慰謝料用のお金を捻出するために私が色鉛筆で絵を描き、支援者がその絵を利用して、うちわとカレンダーを製作して販売しています。

私が犯した大罪は、いくら慰謝料を支払おうとも罪が軽くなったり、許されることはまったくないと思っています。また謝罪することと慰謝料を支払うのは加害者の最低限の当然のことだと思っています。

私の裁判員裁判と同時期に、お二人の御遺族が私に対して、損害賠償命令の申立てをされました。請求額は当然莫大な金額でしたが、お金があるのならばすぐにでも請求額全額をお支払いしたい、いや、それ以上の額の慰謝料をお支払いしたいと思っていました。お二人は結局、申立てのすべてを取り下げられました。

私は今でも慰謝料は御遺族の皆様にお支払いしたい、命あるかぎり支払い続けたいと思っています。しかし、現状はお一人の御遺族にとても少額の慰謝料しかお支払いできていません。支援者が尽力してくれていますが、現実はきびしいです。とても心苦しく思っています。

私は絵を描くのはとても苦手で、まったくの素人ですが私なりに懸命に描いています。絵を描いている時は被害者のことを念頭に置いているためか、写経・書写をしている時と似た心境です。ですので、絵を描くのは写経・書写と同じだと思っています。

支援者のおかげで、絵を描くことによって少額ではありますが慰謝料を支払えるようになりました。本当に有難いことです。心から感謝しております。支援者がいるかぎり、絵を描くことを続けます。

私が被害者にしたことをよく思い出していますが、本当に恐ろしいとんでもないことをしたとその都度、心底思います。私が犯した罪の罰は、死刑ではまったく物足りないと思っています。日々罪が重くなっているように感じていまして、毎日苦しいです。自業自得ですね。

私が毎日行っていることが償いになっているのかはわかりませんが、罪を償いたいと強く思っています。しかし、私が犯した罪はあまりに重大で、償いきれません。虚しく日が過ぎていきますが、行っていることを命あるかぎり続けます。

この世との縁が無くなっても償いを続けたいと思っています。もしかすると、そこからが真の償いの始まりなのかもしれないと考えています。

今日も手を合わせて、南無阿弥陀仏。

奥本 章寛

2017(平成29)年11月

【ライタープロフィール】

片岡健(かたおか・けん)

1971年生まれ。全国各地で新旧様々な事件を取材している。編著に「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)。広島市在住。

弁護士ドットコムニュース編集部

最終更新:2017/12/11(月) 10:35
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