ここから本文です

お使いのInternet Explorerは古いバージョンのため、正しく表示されない可能性があります。最新のバージョンにアップデートするか、別のブラウザーからご利用ください。
Internet Explorerのアップデートについて

鯨船長との今生の別れ 生涯続けた投資に思わぬ落とし穴 中部幾次郎(下)

2017/12/11(月) 13:01配信 有料

THE PAGE

鯨船長との今生の別れ 生涯続けた投資に思わぬ落とし穴 中部幾次郎(下)

『中部幾次郎』発行:中部幾次郎翁伝記編纂刊行会、編者:大佛次郎

(この記事は、2017年09月29日に月額有料サービスで配信した記事の再掲載です)
 鯨漁に参入した現在のマルハニチロの前身である大洋漁業の創始者、中部幾次郎(なかべ・いくじろう)の気進撃は続きます。鯨ひと筋に生きてきた志田とのタッグで最強の船団を築き、輝かしい戦績を残していきました。しかし、別れのときは突然訪れました。

 晩年まで、投資に次ぐ投資の人生を送った中部。儲けた、大損したは投資生活の中では当たり前のことだが、まさかインチキ株に騙されてしまうとは。人生はどこに落とし穴が隠されているのかはわかりません。晩年から最期を迎えるまでの中部の投資人生を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。


  日新丸船団出航「全員無事帰ってくるように」 志野船団長と交わした最後の握手

 1936(昭和11)年10月7日、それは幾次郎にとって生涯の記念となる日である。幾次郎が誇る日新丸船団(船団長志野徳助以下、総乗組み員1200人)が午後3時半を期して南氷洋に向かって神戸港を鹿島立ちすることになっている。幾次郎ゆかりの兵庫、山口両県知事、神戸、下関両市長など大勢の来賓を前に幾次郎は「全員無事帰ってくるように」とごく平凡な言葉で挨拶した。それがかえって人々に深い感銘を与えた。そして20数貫の巨体と潮焼けした赤ら顔の船団長志野徳助が挨拶した。鯨ひと筋に生きてきた志野と魚を追い続けて70年の中部はがっちり握手を交わした。だが、これが今生の別れになろうとは-。

 3週間後の10月21日、船団はオーストラリアのフリーマントル港に入港した時、志野は下関の林兼本社に打電した。

 「八隻の捕鯨戦ヲ伴イ4500マイルノ航程ヲ突破、乗組員一同元気極メテ旺盛、南氷洋怒濤ヲ呑ム概アリ」

 威容を誇る大船団の寄港に現地のメディアも駆けつけ目を見張った。

 その直後の11月2日「船団長志野徳助、脳溢血ノタメ急逝ス」という予想もしない悲報が下関の林兼本社に飛び込んできた。日ごろ大ていのことには動じなかった幾次郎だが、この時ばかりは愕然として言葉を失った。船団長といえば、海軍でいえば、連合艦隊司令長官のような存在である。幾次郎は誰を代わりに据えるか、長男兼市(のち2代目社長)、次男謙吉(のち3代目社長)と相談、その結果、会社代表として乗り込んでいる三男利三郎(のち太平洋漁業副社長)を船団長に任命した。

 だが、利三郎ではいかにも心もとなかったのだろう、幾次郎みずから下関本社に陣取って采配をふるった。

  本文:2,317文字 写真:1枚

続きをお読みいただくには、記事の購入が必要です。

すでに購入済みの方はログインしてください。

  • 税込216
    使えます

サービスの概要を必ずお読みいただき、同意の上ご購入ください。 購入後に記事が表示されない場合はページを再度読み込んでください。 購入した記事は購読一覧で確認できます。

最終更新:2017/12/15(金) 5:54
THE PAGE