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鉄道支えた現場 旧福知山機関区

1/4(木) 8:05配信

両丹日日新聞

 京都府福知山市は昔から鉄道のまちとして栄えた。福知山駅構内にはかつて「福知山機関区」と呼ばれる車両基地があった。動力車の運転、運用、整備、保守にあたる鉄道の現場機関で、関西でも有数の基地として名が知られ、「鉄道のまち福知山」を象徴する鉄道施設だった。往時の機関区の様子を関係者から聞いた。

 福知山鉄道管理局史によると、1899年(明治32年)に阪鶴鉄道が福知山南口まで開通するのと同時に設けられた福知山機関庫が前身で、当時はバラック建ての粗末な施設だった。1936年(昭和11年)に福知山機関区に改称。49年には旧国鉄の管轄となった。

 機関区があったのは駅構内の東南側で、事務所(本館)のほか、運転、整備、研修の3部門の建物などがあった。事務所は木造2階建てだったが、76年に3階建ての立派な施設に生まれ変わった。建物は当初から機関車運転士の詰め所にもなっていた。

休む間ない忙しさ 構内を自転車で移動

 終戦直前の45年春に15歳で機関区に勤め始めた山本偵二さん(87)=厚中問屋町=は、主に蒸気機関車(SL)やディーゼル機関車の運転に従事した。入りたてのころは機関助士として、SLのかま掃除ばかりをさせられた。D51、D50、C11、C57など多くの機体を扱い、体中真っ黒になった思い出を振り返る。

 60年からは機関士となり、運転を始めた。機関区の管理区域は広く、線路が複雑に敷かれ、扇形車庫や機関車の方向を変える転車台もあった。山本さんは「機関車を車庫などから本線に入れる段取りが大変な仕事で、車庫に入庫する時も、出しやすいようにしなければならず苦労しました」と言う。

 山本さんと同じ、機関区の運転士を長く務めた足立雄二さん(81)=同=は、55年に旧国鉄に採用された当初、福知山車掌区の所属だったが、1年後に機関区への異動を命じられ、構内機関士、機関助士を経て運転士になった。

 足立さんは構内での機関車の入れ替えなどがスムーズにできるよう、広い構内を歩き、線路や車庫などの位置を覚えたという。

 64年に機関区のSLの修理にあたる機関車係として採用された大地洋次郎さん(76)=同=は、7年後には検査係に配置され、SLやディーゼル機関車の保守・点検に従事した。

 運転士らと違い、勤務中は構内にいることが多かった。「当時は多くの車両があったので次から次と仕事がありました。座って休む間もなく働いたことを記憶しています」。構内の東西への移動にはよく自転車を使ったという。

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最終更新:1/4(木) 8:05
両丹日日新聞