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闘志むき出しの姿に、ファンは酔った 星野仙一さん死去

1/6(土) 6:45配信

朝日新聞デジタル

■星野仙一さん死去

 アンチ巨人を標榜(ひょうぼう)し、これほど似合う男もいなかった。「巨人に行っていたら、今のオレはいない」という言葉を何度も聞いた。憎しみと憧れ。相反する感情が人生の原動力だった。

【写真】審判から退場を告げられる星野仙一さん=1987年撮影

 ドラフトで指名されると思った巨人から声がかからず、忸怩(じくじ)たる思いで中日へ。やや大げさに言えば、ここでプロでの生き方が決まった。14年間で146勝。飛び抜けた数字ではないが、V9時代を含む巨人から35勝を挙げた。背番号20が闘志をむき出す姿に、ファンは酔った。

 ON(王貞治、長嶋茂雄)にも遠慮しなかった。

 中日の監督1年目、巨人戦で死球をきっかけに起きた乱闘騒ぎで、拳を突き出して王監督を威嚇(いかく)した。1996年は、中日・山崎武司を本塁打1本の差で追う松井秀喜を最終戦で4連続で歩かせ、タイトルを死守した。「うちは勝負した」と言う長嶋監督に、「打たれた投手は一生言われるんだ」と言い放った。

 有能な演出家でもあった。楽天を率いていた2013年の日本シリーズ最終戦。3点リードした九回、前日に160球を投げた田中将大(現ヤンキース)を起用した。このシーズン、24勝を挙げた田中に花を持たせたが、無謀に決めたわけではない。

 「あの試合を最後に大リーグに行くと、みんな分かっていた。だから、勝って送り出したかった。もし2点差だったら使わない。1イニングなら行ける」「監督は絵を描いて演出し、脚本を書き、演技もする。でも、主役がいないとデッサンしか描けない」。最大となった球場のボルテージも、計算に入れていた。

 選手やコーチの家族や球団スタッフに誕生日プレゼントを贈り、「おまえらも戦力なんや」と報道陣とはお茶を飲んで情報交換した。「闘将」と言われるが、1人で戦っていたわけではない。集団の先頭に立ち、チームが戦うための準備なら何でもした。その才能は球界の中で卓越していた。

 04年、1リーグ制移行を目指す球界内部の動きを阻止するため、幅広い人脈を生かし、政治、経済の各界に働きかけた。定宿にしていた東京都内のホテルで話したことがある。「小さい頃から野球に育てられたオレは、野球がなければ、ただの人。その頂点のプロ野球がむちゃくちゃになるのを、黙って見過ごすわけにはいかん」

 若い頃に首を痛め、高血圧に苦しんだ。楽天を指揮した最後のシーズンも、腰の難病で戦列を離れた。手すりにしがみついて球場の階段を上り下りする姿を覚えている。自宅の鏡に映った自分のやつれた顔に愕然(がくぜん)としたこともあった。

 色紙にはいつも「夢」と書いた。「ずっと野球と恋愛をしてきてよかった。もっともっと、野球に恋をしたい」。昨年11月28日、東京都内であった野球殿堂入りの祝賀会で、そう熱っぽく語っていた。それからわずか1カ月の悲報。野球を愛し、愛され続けることを生涯思い続けた男の、あまりにも早いサヨナラだった。(山田佳毅)

朝日新聞社