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「お前の分まで頑張ってるで」20歳次男失った在日コリアン2世 1・17追悼の集いで遺族代表に

1/10(水) 21:38配信

神戸新聞NEXT

 阪神・淡路大震災から23年となる17日、次男秀光さん=当時(20)=を失った神戸市須磨区千歳町の崔敏夫さん(76)が、神戸・三宮の東遊園地である「追悼の集い」で遺族代表としてあいさつする。在日2世の朝鮮人。在日コリアンの代表は初めてで、10日、神戸市役所で会見した崔さんは「6434人の死を無駄にしたくない。大きな責任を感じている」と思いを語った。息子を亡くした自責の念にかられ、自らの使命を問い続けてきた崔さん。当日は「お前の分まで頑張ってるで」。天国の秀光さんにこう呼び掛けるつもりだ。(小林伸哉)

 東京の朝鮮大学校に通っていた秀光さんは、1995年1月の震災前に、成人式出席のため、実家に帰省していた。16日に東京へ戻る予定だったが、体調がすぐれず、崔さんが「つらかったら明日帰ったら」と声を掛けた。秀光さんは16日夜、初めて崔さんを銭湯に誘い、背中を流し、将来を語り合った。

 17日午前5時46分、同区の木造2階建ての自宅を激震が襲った。1階で寝ていた秀光さんは、家屋の下敷きで帰らぬ人に。正義感が強く、大学校で教員になるのが夢だった。「あのとき引き留め、死に追いやった。息子のため、自分に何ができるのか」。常に意識して生きてきた。

 「息子に頑張る姿を見てほしい」。自宅は焼失したが、95年6月に仮設作業場を建て、ケミカルシューズ加工の仕事を再開。区画整理で転居を重ね、自宅再建まで8年を要した。

 「防災には地域のつながりが大事」と、震災前まで自身は縁がなかった自治会を結成し、夜は真っ暗な街に明かりをともした。千歳地区の自主防災委員長として訓練を重ねながら、遺族らの団体「語り部KOBE1995」にも加わり、全国で「人を愛すること、助け合う精神が大事」と訴える。「息子に与えられた使命。命、愛、絆が活動の原点」と振り返る。

 当日は「震災を風化さしたらあかん。命の大切さ、震災の恐ろしさを永遠に語り継ごう。備えれば被害は最小限にできる」と思いを込める。

 「息子に背中を押してもらってる」と崔さん。もし再び会えるなら「『アボジ(お父さん)頑張ってるな』と言ってもらいたい」

最終更新:1/11(木) 0:27
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