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いつまで「ガキ使」を叩き続けるのか 何度も炎上した私が考える「バッシングの許し時」

1/10(水) 11:00配信

SankeiBiz

 昨年12月31日に放送された『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!大晦日年越しスペシャル! 絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!』(日本テレビ系)で、ダウンタウン・浜田雅功が映画『ビバリーヒルズ・コップ』に登場するエディー・マーフィーに扮し、黒塗りメイクで登場。これが一斉にツイッターで批判の対象となり、その後「人種差別」をめぐり議論が噴出し、問題視する記事も多数登場した。中には日本を「人権後進国」とする記事も出た。(ネットニュース編集者 中川淳一郎)

【図表】「ブラックフェイス」というワードを含むツイート数の推移

 日本在住13年のアフリカ系アメリカ人作家、バイエ・マクニール氏は、番組放送後に「いますぐやめろお願いします  #StopBlackfaceJapan #日本でブラックフエイス止めて」とツイートした。これは当事者からの貴重な提言である。

◆怒り続けるネット民

 さて、本稿はこの件を題材とするが、「人種差別」や「人権」を論点にしたいのではない。「謝罪道」に関する連載のため、謝罪と対をなす一般論としての「許し時」についての話だ。日本テレビは1月9日現在、謝罪をしているわけではないが、今回の件は、番組OAから10日経っても許さない人がツイッターには多数いる(※前出図表参照)。そして12月31日や1月1日段階で怒っていた人はまだ怒り続けている。このように問題視する人もいれば、何かと差別認定し一斉糾弾する状況に嫌気がさした人々による「黒人を差別した国の文化を日本に持ち込むことはいかがなものか?」的な応酬もあり、おさまりがつかない状態となっている。

 叩きの手綱を緩めない人からすれば、「謝罪していないんだから許すわけないだろ」と言うのかもしれないが、彼らは「許し時」「叩きの辞め時」はどう考えているのだろうか。ここではネットにおける「許し時」について考えたい。

◆バッシングは娯楽化している

 そもそも「許す」「許さない」というが、基本的にはネットの炎上やら電凸やらは当事者以外の「怒りの代理人」がプンスカ怒っているだけで、その当人にとっては「不快になった」以外の実害はない。怒る大義名分としては「差別を放置していては社会がおかしくなる」「差別放置国家として世界から日本がバッシングを受け孤立する」といったものがある。だからこそ、同様の意見を見つけてはそれらをRTし、持論を強化し、日テレ叩き、さらには差別に無自覚な日本社会への批判へと繋げていく。

 これらは正しい姿勢ではあるものの、「いつまでやるの?」ということも同時に考える。今の段階において、日テレ、番組関係者は特番で再び浜田の黒塗りシーンは登場させただけに開き直っている面はあるものの、「今後はより慎重になるか」的なことは思っていることだろう。それと同時に「まさかここまで叩かれるとは…」とも思っているだろう。

 これまで12年間、ネットニュースを多数編集してきた私は炎上も何回も経験してきた。この経験を通じて分かったことは、バッシングが娯楽化しているという件である。バッシングを受ける場合、それはなんらか問題があるからである。炎上した側はその理由については多数のバッシング内容を見ればそこは理解し、「やり過ぎた…」「これから気を付けよう…」「当事者に対しては真摯に向き合おう」と思うものである。時に謝罪文は出すし、迷惑をかけた人間には実際に謝罪に出向き許しを請う。

 一方、バッシングをする外野は聖人君子としての立場から悪を叩くスタンスを取る。これは気持ちがいい。何しろ、他の多くの人間もその悪を叩いている様子が見えるだけに、自らの意見の正しさが次々と賛同されていく様が実感できるとともに、数多くの仲間とともに「社会を良くする」という崇高なる活動をしている感覚に浸れるからである。

◆日テレが謝罪しても燃料投下になるだけ

 さて、これからも逆風が続き、世間のバッシングの強さに音を上げ、ついに日テレが謝罪文を出したとしよう。しかし、そこで待っているのは「まだわかっていない」「問題はそこではない」「まったく反省していない。うわべだけ取り繕っている」とまた文句を言う機会の創出である。こうなれば、やぶへびで、単なる燃料投下になるだけだ。文句を言う人間は、いかに粗を探すか、ということを考えるのだから日テレはむしろ謝罪文を出さないという決断に至るかもしれない。

 実際、昨年9月、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)の30周年スペシャルで28年ぶりに「保毛尾田保毛男」が登場。ジェンダーについて無頓着だった時代のキャラが登場したことによりネットは炎上。フジテレビの宮内正喜社長は謝罪したが、フジテレビ叩きはしばらく続いたし、今ではテレビの差別表現を批判する際のケーススタディとして活用される状況になっている。

 また、最近の人権問題に関し、いわゆる「識者」と言われる人々は基本的には「バッシング」方向で一致する傾向がある。同じ人間が毎回登場しては批判をする。それはいいのだが、あまりその件に詳しそうではないにもかかわらず、毎度声をあげている。お前、黒人の歴史に詳しかったか? といった人でさえ声をあげる。識者であるからには、それほど詳しくないことについて軽々しく発言することは慎んでもいいかもしれないのに、声をあげる。

 うがった見方だが、「ここで声をあげなくては私も人種差別主義者だと思われてしまう……」という恐れをこの人達は抱いているのでは、と思うほどである。ツイッターを見ていると「そろそろAさんとBさんとCさんがこの件に首を突っ込んでくるな」という予想をすると12時間以内に大抵は首を突っ込んでくる。そして、ネットニュースで「Aさんもツイッターで●●とツイートし、この件について批判をした」などと引用され、論の補強に利用される。

◆「許し時」を知らなすぎる世間様

 さて、今回の『ガキ使』バッシング、いつまで叩き続けるのか。「明確に謝罪をし、さらに来年の内容で改善が見られるかどうかをチェックするまでは許さない」と考えている人もいるだろう。あるいは番組を打ち切りにするまで許さないと考える人もいるかもしれない。

 だが、私は「もうこの件については十分叩きつくしたからそろそろいいんじゃね?」と思う。もはや日本では「糾弾」が娯楽と化しており、糾弾者はその「許し時」をあまりにも知らなさすぎる。いや、娯楽として消えたら困るのでやめたくないという面もあるかもしれない。

 今回同番組では、2016年に報じられた不倫の「禊」的意味合いでベッキーがタイキックをくらい、これまた人権問題として大バッシングされた。ベッキーが「タレントとしてありがたかった」と釈明しても「影響力を考えろ」「暴力肯定を助長する」「女性差別に加担する」といった批判が来る。

 過去のトラブルをいじられるケースでは、2012年12月に発生したペニーオークション騒動により、小森純は芸能活動自粛に追い込まれた。2013年9月、番組に久々に出演した際、ビートたけしが「今日はペニーオークションが……(来てる)」と話を振ったため、小森は結果的に救われた。ベッキーもそれと同様の意味で「ありがたい」と言ったのだろうが、前出の通り、擁護されたベッキーが問題となった番組演出を肯定したと受け取られ、今度はベッキー叩きに発展してしまった。

 そもそも、ベッキーが今回尻にキックされなくてはいけなかった理由は、不倫という当事者及びその家族、CMスポンサー以外にとってはどうでもいい騒動を、世間様が許さずバッシングを続けまくったことが理由である。ベッキーが番組に出るとなれば、電凸やスポンサーの不買運動を呼びかける。これも娯楽としての糾弾である。結局タイキックも、約2年間続く不倫に端を発する“娯楽”という名の糾弾の続編といった感じなのだ。

◆バッシングが自殺に追い込んだ例も

 さて、自分自身が何もダメージを受けておらず、不快に思った程度の被害を受けた人々が糾弾を続けるならば続けても良いが、一応「許し時」、いや「辞め時」は考えておいた方がいい。後でモヤッとした気持ちになるし、後悔するかもしれないからだ。2013年6月5日、岩手県議の小泉光男氏は、病院でのエピソードをブログにこう書いた。

〈6月上旬、3日ほど県立中央病院に通い続けていますが、当職と、ひと悶着がありました。 “241番”、“241番の方”、“お名前でお呼びします。241番の小泉光男さん。”→ん!僕を呼んでいるの?と気付いた瞬間、頭に血が上りました。ここは刑務所か!。名前で呼べよ。なんだ241番とは!と受付嬢に食って掛かりました。会計をすっぽかして帰ったものの、まだ腹の虫が収まりません。〉

 さらに、自分は1万5000円の医療費を払う“上得意のお客さん”だとし、会計をするにしても、カウンターへ出向かせるのではなく、職員がこちらに来るべきだと主張した。これが非常識だとし、ネットは大炎上。朝の情報番組も執拗な取材をし、県庁にもクレームが殺到。小泉氏は謝罪会見を12日後の17日に行い、そして25日に自殺体が発見された。

 この時、ネットにはなんともいえない微妙な空気が流れていた。当件で迷惑を受けたのは、一義的には病院。次いで軽いものではあるが、こんな傲慢な人物に県政を任せる岩手県民。以上である。それなのに無関係な全国の大衆から同氏へのバッシングが殺到し、挙句の果てには死んでしまった。「ご冥福をお祈りします」の声が多数書き込まれたが、沈黙した人は「オレの書き込みが直接影響したかどうかは分からないけど、やり過ぎちまった……」という感覚も抱いたことだろう。

 また、同様に2015年の東京五輪エンブレム騒動は同年最大の炎上案件となったが、ここでは「パクリ疑惑」のデザイナー・佐野研二郎氏を「もっと追い込むぞ」という書き込みが見られた。そして、エンブレムが撤回になった時は「大勝利!」と歓喜の声を上げる。それでも「まだ追い込むよ」という書き込みがあったほか、自殺するまで追及の手を緩めないといった趣旨の意見もあった。本当に自殺したらどうするんだよ……。反撃を食らったり、身バレする可能性が極めて低い安全な立場から安易に人の人生を追い込むようなことをしてはいけないだろうよ……。

◆「あぁ、やり過ぎた」と思ってももう遅い

 今回の件で「ガキ使」の担当者が自殺をするようなことはないだろうが、ネットのバッシングは最悪人の命を絶つところまで行くことはある。韓国の芸能界を見ればそれは明らかだろう。その時に「あぁ、やり過ぎた」と思ってももう遅い。腹が立つかもしれないが、「もう十分叩いたから放置しておこう」という「許し時」「辞め時」はネットで自由に発言できる今だからこそ意識しておくべきではなかろうか。失敗した部下に対してその場でピシャリと怒るのはいいのだが、以後会う人会う人にその非を伝えたり、半年後に行われた忘年会でもそのことに言及されたら部下も「もうその話はやめろよ、この粘着バカ野郎が!」と逆切れしたくなるかもしれない。部下は最初に怒られたことにより、「禊」は済んだのである。

 まぁ、今回の日テレの上手な対処としては、『ガキ使』のプロデューサーがマクニール氏にすぐにアポを取り、同氏と話した内容を日テレのHPで公開し、人権問題等に真摯に努めている、という声明をさっさと出せばよかった、とは思う。

最終更新:1/10(水) 16:22
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