ここから本文です

「ガキ使」を批判する人が増えれば、トンデモ権力者が生まれる論理

1/11(木) 7:48配信

ITmedia ビジネスオンライン

 大晦日に日本テレビ系列で放送されたバラエティ番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんでSP 絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時」が、大炎上している。

「みなおか」の保毛尾田保毛男騒動で、フジテレビが謝罪

 ことの発端は、レギュラー出演者であるダウンタウンの浜田雅功氏が、米国の黒人俳優エディ・マーフィの真似をして顔を黒くメークして登場したことだった。この「黒人メーク」にTwitterなどで批判が巻き起こると、英BBCや米ニューヨーク・タイムズ紙など海外の大手メディアが顛末(てんまつ)を報じ、騒動はグローバルに広がった。

 ご記憶の方も多いと思うが、少し前の9月には、フジテレビ系列で放送された「とんねるずのみなさんのおかげでした30周年記念SP」という番組で、とんねるずの石橋貴明氏が同性愛者「保毛尾田保毛男」というキャラクターに扮して登場。それがゲイ差別だとして炎上する騒動もあった。これについてはフジテレビが謝罪している。

 こうした一連の騒動を見ていて感じたことがある。黒人メークや同性愛者キャラクターを否応なしに批判する「空気感」はあまり良い流れではないのではないか、ということだ。というのも、こうした何でもかんでも問題視する傾向が、世界唯一の超大国である米国で、発言がむちゃくちゃな政治経験ゼロの「ドナルド・トランプ大統領」を生んだからだ。

 最初にはっきりさせておきたいが、筆者は長年海外に暮らし、各地を滞在してきた経験上、黒人の人たちを差別することは絶対にあってはならないと思っている。各地に黒人の友人もいる。また日本にも海外にも同性愛者の知人がいるし、同性愛者に対する偏見や差別はなくなるべきであると重々理解している。

 だがそれにしても、「ガキ使」「みなおか」で起きている大きな騒動には違和感を覚える。

●お笑い番組がつまらなくなる

 まずそもそもこれらの番組はお笑い番組だということだ。もちろんそれを面白いと思う人もいれば、笑えないジョークだと思う人もいるだろう。だがお笑い芸人や番組の作家たちが、年末の開放的な空気の中で人々を笑わせるためにひねり出したアイデアなのである。明らかな悪意を感じないものなら、鬼の首を取ったかのように非難する必要はないのではないか。

 例えば、東北訛(なま)りで漫才をしている漫才師もいるが、それだって、人によっては不快に思うだろう。口には出さないが、「バカにされた」「差別されている」「恥ずかしい」と思う人もいるかもしれない。

 また「ガキ使」の場合は、黒人俳優のモノマネをしていただけに過ぎないとの見方もある。これももっともな指摘で、例えば肌が黒いことで知られる歌手の松崎しげる氏のモノマネをするのに、肌を黒く見せないわけにはいかない。それではモノマネにならないからだ。逆に、浜田氏のエディ・マーフィのモノマネでの登場シーンで肌が白かったら、それこそ逆に似てないと批判が出たり、酷評される可能性だってある。それは人を笑わせるプロである芸人として評価を下げることになりかねない。

 そもそも、黒人メークを差別的というなら、浜田氏がかぶっていたアフロのようなカツラにも批判の声が出てもいいはずだ。強いくせ毛は黒人の特徴でもあるからだ。黒人のメークがダメなら、芸人が白人を真似する際に付ける大きな鼻や金髪のカツラもダメということになる。白人差別になるからだ。もっと言うなら、日本で普通に使われる「黒人」という言葉自体を同様に批判すべきではないか。

 一方、「みなおか」のケースでは、確かに同性愛者を「保毛尾田」と呼ぶのは、悪ふざけがすぎるように感じる。だがそれでも、悪意はないだろうし、あそこまで「保毛尾田」というキャラクターが飛んでいると、逆にリアリティがなく同性愛者というイメージを感じない。「保毛尾田」というキャラが先に立つからだ。ただ、昔のキャラクターの名前であるために改変せずに使わざるを得なかったのかもしれないが、せめて名前だけは工夫すべきだったのかもしれない。

 以前、レイザーラモンHGの「ハードゲイ」というキャラクターが人気を博した。あれも「同性愛者」を表現しているはずだが、名前が「ゲイ」ではなく「ホモ」なら問題になっただろう。彼が出てきたころはすでに、「ホモ」という言葉は差別的なニュアンスがあるとされていた。

 何が言いたいかというと、黒人や同性愛者を扱ったことへの批判はまさに正論であるが、それをいちいち指摘していたら、お笑い番組はいつかテレビで流せなくなるだろう。少なくとも、できないことだらけで薄っぺらいものになってしまう。

●言いたいことがはっきりと言えない世の中

 では、米国で黒人や同性愛者を“やゆ”するコメディ番組は放送できるのだろうか。結論を先に言うと、かなり難しい。なぜなら、米国は表向き「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)」を多くの人々が意識している社会だからだ。ポリコレとは、人種・宗教・性別などによる偏見や差別のない中立的な言葉を用いることを言い、人種のるつぼである米国で人々がお互いを傷つけずに生きるには必要な考え方だと受けとめられてきた。

 要するに、今回の「ガキ使」なら、黒人メークを批判している人たちの言い分はポリコレ的に正しい。ただその一方で、それでは窮屈な世の中になってしまいかねない。米国では、ポリコレは1980年代ごろから意識されるようになったのだが、今では何でもかんでもポリコレを敏感に意識するあまり、言いたいことがはっきりと言えない世の中になりつつあるとの批判もある。

 そして、そんな空気が漂う米国にさっそうと登場したのが、当時大統領候補だったトランプだった。

 彼の辞書には、ポリコレという言葉はなかった。

 トランプは選挙戦から、黒人、ラティーノ(中南米系)、イスラム教徒を平然と口撃した。その言い草は見ていてヒヤヒヤするほどで、公にそんな発言をする人が大統領を目指していることに、多くの人は戸惑った。特にポリコレを意識するインテリ層は煮えたぎる嫌悪感を覚えたはずで、当時筆者も友人たちの感情的な怒りを聞かされたものだった。

 トランプは「黒人たちが私のカネの勘定をしているなんてぜったいに嫌だ!」「怠けることは黒人の特徴のひとつだ」などと発言したことがある。また大統領選の遊説のスピーチで身体的に障害のある記者の動きを真似てバカにしたこともある。大統領選に出馬していた女性議員には、「あの顔を見てみろ。誰も彼女に投票しないよ」と発言したこともある。メキシコ人は「レイプ魔」だと語ったこともある。

 実際、トランプは「私には完全なポリコレを考慮する時間はない」とまで言い切っているし、2017年11月には「私たちはもっと賢くならないといけない。もっとポリコレを忘れなければいけない。私たちはポリコレを意識するあまり、怖くて何もできない状態になっている」とも主張している。

 そんなトランプの歯に衣着せぬ主張は人々を引きつけた。そんな男だったからこそ、大統領に当選したといっても過言ではないのである。

●トンデモ指導者が誕生する日

 大統領選当時、メディアはトランプ支持者たちを多数インタビューしている。米公共放送PBSで「トランプは人の気分を害することに恐れていない」と若者が取材に述べていたり、トランプのポリコレを意識しない姿勢を支持することは「文化的な反発だ」という意見もあった。米調査会社モーニング・コンサルトの調査では、トランプに投票した人の6割以上がトランプの「ポリコレ」は「ほぼ正常」だと答えている。

 米国を見れば、確かにポリコレを意識するあまり、白人差別まで生まれているとの指摘もある。例えば17年10月に米コンサル企業アーンスト・アンド・ヤングが実施した職場での意識調査をみると、「(職場で)白人男性の49%が社員の多様化を重視する流れから排除されている」という結果が出て、米ワシントンポスト紙などで話題になった。ポリコレで人種や女性への待遇を意識するあまり、白人男性が疎外されていると感じているという。

 「ガキ使」に話を戻すと、今回の黒人メークを批判する声は正論だし、米国を中心とする欧米ではその声のほうが受け入れられるだろう。だからこそ世界的なメディアがこのネタに飛びついた。だが日本ではそんな声に、違和感を持っている人が多いのはないだろうか。

 ポリコレばかりを強調する声が大きくなって、それを芸人や制作側が意識しすぎれば、今私たちが楽しんでいるお笑い番組は遅から早かれ消滅するだろう。ただそうなると、その傾向に不満を抱く人たちが、米国のようにポリコレを無視するトンデモ指導者を支持する日も来るかもしれない。

 「ガキ使」や「みなおか」批判がどんどん強まれば、日本でも「トランプ大統領」が登場する日が来るかもしれない。

(山田敏弘)