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人工知能が働いてくれるなら、人は働かなくてもよくなる? 「ベーシックインカム」の可能性

1/11(木) 9:12配信

ITmedia エンタープライズ

 この連載では、これまで何度か「人工知能に仕事を奪われる」という脅威論を取り上げてきました。鉄腕アトムのような“万能”な人工知能が生まれるには、まだ多くの時間がかかると予想されますが、特定の単純作業など、ミクロな視点で考えれば、人工知能による自動化によって、人間の手が要らなくなる仕事は出てくるでしょう。

 仕事の対価としてもらえる賃金が、人工知能によって得られなくなる――これが人工知能に仕事を奪われることを「脅威」と捉える理由の1つだと思います。

 では、人工知能に仕事を奪われたとしても、お金がもらえるとしたらどうでしょうか。近年では、そんな社会保障施策である「ベーシックインカム(Basic Income=最低所得保障)」が国内外で注目を集めています。

 国内では、堀江貴文氏や西村博之氏などが導入を主張していますし、世界に目を向けると、テスラCEOのイーロン・マスク氏やFacebook CEOのマーク・ザッカーバーグ氏もその必要性に言及しています。実際にフィンランドでは導入テストが始まっており、米国カリフォルニア州のストックトンも2018年に試験導入を行う予定です。

 「働いている人も、働いていない人も、政府から無条件で一律の金額が給付される」――。ある意味で“夢”のような施策ですが、今のところは「財源はどうする」「働かずにお金をもらうのはずるい」といった反対論が多く、多くの国民がベーシックインカムを冷めた目で見ています。しかし、本当にこれを「異端の政策」ですませてよいのでしょうか?

●そもそも、「ベーシックインカム」とは何か?

 ベルギー出身の哲学者であり、ベーシック・インカム・ヨーロッパ・ネットワークの幹事であるフィリップ・ヴァン・パレース氏が、彼の著書である『ベーシックインカムの哲学―すべての人にリアルな自由を』の中で、ベーシックインカムを次のように説明しています。

(1)その人が進んで働く気がなくとも、(2)その人が裕福であるか貧しいかにかかわりなく、(3)その人が誰と一緒に住んでいようと、(4)その人がその国のどこに住んでいようとも、社会の完全な成員全てに対して政府から支払われる所得である。

 つまり「この世に生を得たからには、一定の購買力を政府が給付する」というのが、ベーシックインカムの基本的な考え方というわけです。

 ただし、富める人への給付はやめた方が良いのではないか、一定以上の所得がある場合は減額したほうが良いのではないかなど、ベーシックインカム推進論者の中でも細部で意見が異なります。今のところは「誰もが政府からタダでお金がもらえる」程度の理解にとどめておくのが無難でしょう。

 ベーシックインカムは賃金補助であり、貧困対策に効果が見込めるとして、経済左派から強く支持されています。簡単に言えば、収入の多い人から少ない人への「富の再配分」であり、格差社会の是正にもつながる可能性があるためです。

 では、対立する経済右派がおしなべて反対しているかと言えば、そうでもありません。例えば、市場原理主義者であるミルトン・フリードマン氏は自著「資本主義と自由」において「一定水準以下の所得しかない者には、逆に税金を還付する仕組み」として「負の所得税」を提唱しており、“富の再分配”としてのベーシックインカム政策には一定の理解を示していました。

 また、ベーシックインカムを導入すれば、誰に、いくら給付するかという勘定作業や扶養者の調査といった社会保障にかかる政府の役割が大きく減るため、公務員削減につながるとして、「小さな政府」推進の観点でも、経済右派から支持を集めています。

 導入で期待する効果や役割は異なるものの、経済政策として対立する両陣営から一定の支持が出るほど、今までの概念では評価し難いのがベーシックインカムなのです。

●人工知能時代にこそ、「ベーシックインカム」が必要だ

 ベーシックインカムが注目されるようになった要因の1つが「人工知能」の進化です。現状では現実的な話ではありませんが、2040年代には、人工知能が人間に代わって多くの仕事を行っているのではないか、と私は考えています。

 その場合、人工知能に代替された労働者は働き口を失い、労働の対価としての賃金がもらえなくなる可能性が高いでしょう。現行のシステムのままなら、失業すると、最初は失業保険が給付されますが、仕事が見つからない状態が続けば、保険も切れてやがて所得が完全になくなります。失業者が街にあふれ、低所得者層が一気に増える未来は想像に難くありません。

 仮に失業者が増えると、国内全体での可処分所得が一気に減り、その結果、日本国内でお金が循環しなくなると、需要と供給で成り立つ経済のバランスが崩れてしまう可能性すらあります。GDPも大きく減ってしまうでしょう。そうした事態を防ぐためにも、一定の購買力を政府が給付する、ベーシックインカムは必要になるのではないでしょうか。

 “政府から無償でお金をもらえる”という点では、生活保護制度などもありますが、経済への影響を考えると、ベーシックインカムにやや分があります。

 生活保護制度は「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するのが目的です。給付金の使い道が限られる場合がありますし、「収入を得た分だけ支給額が減らされる」という点がネックになるでしょう。先ほども触れましたが、不正受給を防ぐためのチェックにコストがかさむ点も見逃せません。

 人工知能によって、人間が行う仕事が本当になくなるかもしれない数十年後の将来を考えれば、ベーシックインカムは決して“マユツバ扱い”の政策ではないでしょう。「人工知能失業時代」を見据えた新しい社会保障として、検討の余地があると考えます。

●「ベーシックインカム」があると、人は働かなくなるのか?

 そんなベーシックインカムにも懸念はあります。「労働意欲の低下」です。働かずとも政府から一律の金額が給付されるなら、真面目に働く人が減るのではないかと心配する人は少なくありません。

 人工知能失業時代を想定するならば、働こうにもそもそも仕事が存在しない――といった状況もあり得ますが、経済産業省も「新産業構造ビジョン」において、人工知能に仕事の全てが奪われるわけではなく、一定層は残るという予測を発表していますし、その観点からも、本当に労働意欲は低下するのかを検証すべきでしょう。

 これまでにも、さまざまな自治体がベーシックインカムの導入テストを行っていますが、目に見えて労働意欲が低下したという例は報告されていないようです。

 例えば、カナダのマニトバ州では総額1700万カナダドル(現在の64億円に相当)を投入して、1974年から約4年間、ベーシックインカムの導入テストが行われました。その当時の報告書などは、グレゴリー・メイソン氏のWebサイトから確認できます。

 また、カナダ版HUFFPOSTでも2014年12月に「A Canadian City Once Eliminated Poverty And Nearly Everyone Forgot About It」というタイトルで、当時の実験が取り上げられています。

 中道左派であるカナダ自由党からカナダ進歩保守党への政権交代などにより、政策は途中で打ち切られ、最終報告書も刊行されなかったのですが、2009年にマニトバ大学のエヴァリン・フォージェイ女史がデータを米国国立公文書記録管理局で発見して分析を行い、2011年に「the town with no proverty」という論文を発表しました。フォージェイ氏自身が内容を解説する動画もWeb上にアップロードされています。

 分析の結果、労働時間は男性で1%、既婚女性で3%、未婚女性で5%下がっただけで、ベーシックインカムのせいで労働意欲が低下するとは言い切れない結果でした。加えて、メンタルヘルス、交通事故、傷害に関連する入院期間の大幅な減少や、高校課程への進級に大きな伸びが見られました。

 そして、結婚する年齢は遅くなり、出生率は下がったそうです。つまり、最低所得保障を得た人々は「より働こうとする足掛かりを得た」という結果が出たのです。

 その他にも、2009年5月にロンドンで行われた「ホームレスにタダで3000ポンド(約45万円)をあげる」という実験に対しては、1年半後には13人中7人が屋根のある生活を過ごしている結果となりました。

 本格導入されていない政策に対する批判を退けるには、証拠として十分ではないとは思いますが、各地で行われた導入テストの結果を見る限り、そのような心配は杞憂(きゆう)であるという結果になっています。

 もちろん、成功事例ばかりをかき集めても、意味がないのは百も承知です。しかし、それも失敗事例が存在してこそ。「ベーシックインカムで労働意欲が低下する」という反論は、提唱者が事例をもって説明する責任があるように思います。

 フィンランドでは、2017年1月から国レベルの導入テストが始まりました。そろそろ、ちょうど1年が経過しますから、どのような効果が表れているのか、報告書が待たれるところでしょう。

 最低限暮らせるだけのお金を得ても、システムさえ整っていれば、人は働く意欲を失わない。これは労働というものが、生きることや賃金以外の目的で行われる可能性があることの何よりの証拠でしょう。

 確かに人工知能が働いてくれるならば、人は働く必要がなくなるかもしれません。しかしそれでも、人がよりよい人生や社会を求め、活動をやめることはない――そうした傾向がある限りは、ベーシックインカムという制度もうまく機能するのではないでしょうか。