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【ウインタースポーツ応援団】(下)スキー 清水亜久里選手、礼留飛選手 新潟

1/12(金) 7:55配信

産経新聞

 ■地元から惜しみない声援

 「越後富士」の名でも親しまれる妙高山(2454メートル)の麓にある妙高市から世界に羽ばたき、スキー競技で活躍する選手は数多い。ノルディックスキー複合の清水亜久里選手(ユーグレナ)、2014年ソチ五輪のジャンプ男子団体のメンバーとして銅メダルを獲得した礼留飛選手(雪印メグミルク)の兄弟も、その中に名を連ねる。平昌五輪への出場は厳しい状況にあるものの、スキー文化が根付く地元の応援団は惜しみない声援を送り続けている。 (太田泰)

 ◆五輪への心構え

 同市体育協会の山崎健吾会長(65)は、礼留飛選手が銅メダルに輝き、地元に凱旋(がいせん)したときの喜びを「今でも忘れられない」と語る。礼留飛選手と亜久里選手を後押しすべく、山崎氏は平成27年に「清水亜久里・礼留飛 平昌五輪サポート会」を立ち上げ、会長に就いた。

 同会は、資金面などとともにシーズン前には激励会を開いて2人を支えてきた。今シーズンは同市出身で同複合の曽根原郷選手(23)=東京美装=も含めた3人の活躍に期待を寄せる。山崎会長は「けがをせず、練習で普段やってきたことを出し切ってほしい」と話す。

 清水兄弟を少年時代から見守ってきたのは2人の母校、市立妙高高原中の元校長でサポート会の副会長を務める長崎一男氏(70)だ。兄弟は同中のグラウンド近くにあるジャンプ台で練習を重ねた。「とにかくスキーが好きで、生活の一部になっている感じだった」と振り返る。「厳しい中でもチャンスを生かしてほしい」と2人を温かく見守る。

 妙高高原ジュニアスキー育成会理事長の山川尚氏(47)は、ジャンプの選手だった兄弟が幼いときにクロスカントリーを指導した。「当時から五輪を目指す心構えができていた」といい、「自らのためにも死にものぐるいで頑張ってほしい」と教え子を励ます。

 ◆楽しさが力に

 妙高市役所に勤める2人の父、久之氏(57)もジャンプの選手で、40回以上連続で国体に出場。指導者として選手の育成に当たっており、2人と連絡を取り合ってアドバイスをするなど、家族の絆は固い。

 今シーズン、兄弟は思ったような成績を残せずにいる。礼留飛選手は膝を故障してから力を出し切れず、亜久里選手もワールドカップ(W杯)で上位に食い込めていない。

 「『結果を出さなければ…』との思いは、雑念になってしまう。本当に楽しさを感じるときこそ力は発揮できる。2人が自分らしさをどう出し切れるかだ」。久之氏は指導者の目で2人を見つめる。

 妙高高原中では、同校出身のスキー選手たちの活躍ぶりを収めた写真を額に入れ、廊下の壁にズラリと掲げている。その姿を見て、後輩の在校生たちは「自分も後に続きたい」との思いを心に日々刻んでいる。冬季には妙高山を正面に望む校庭に雪が積もり、生徒がスキーの練習をした跡が晴れ間には日を浴びて輝く。

 「2人の今があるのも妙高という土地と先輩たちのお手本があってこそ。第2の亜久里、礼留飛を育てていくことに終わりはない」と久之氏は先も見つめる。

 サポート会は3月に解散する。ただ、礼留飛選手は4年後の北京五輪も目指す考えを周囲に伝えており、新たなサポート態勢などは今後検討するという。清水兄弟を育んだ妙高市が、スキー文化継承の歩みを止めることはない。

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【プロフィル】しみず・あぐり

 平成4年3月9日、妙高市生まれ。25歳。「世界に通用する」という父、久之さんの思いから、元レーシングドライバーの鈴木亜久里選手の名にちなんだ。今季はワールドカップ(W杯)複合の個人第4戦で41位。

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【プロフィル】しみず・れるひ

 平成5年12月4日、妙高市生まれ、24歳。日本にスキーを伝えた当時のオーストリア・ハンガリー帝国の軍人、レルヒ少佐にちなみ、名付けられた。2014年ソチ五輪の男子ジャンプ団体で銅メダル。

最終更新:1/12(金) 7:55
産経新聞