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西武・外崎は弘前が育てたリンゴスター アジアCS初代MVP男のルーツに迫る

1/11(木) 15:00配信

サンケイスポーツ

 【思い出の地/ザ・ミュージアム】 各界で活躍するプロたちの軌跡をたどる『思い出の地』の第2回は、昨年11月のプロ野球「アジアチャンピオンシップ」でMVPに輝き、稲葉ジャパンの初優勝に貢献した西武・外崎(とのさき)修汰内野手(25)が登場。実家は、青森・弘前市で3代100年以上続く「外崎りんご園」を営む。ファンから“リンゴスター”と呼ばれる若獅子を生んだ弘前の地を巡り、そのルーツに迫った。

 シーズン中と変わらぬ生き生きとした姿が、雪国にあった。昨年12月中旬、外崎は地元の青森・弘前市で初めて野球教室を開いた。会場は冬でもスポーツができる弘前市運動公園内の「克雪(こくせつ)トレーニングセンター」。かつて、自らも白球を追った内野ほどの広さの土の上で、100人の小学生を相手に約2時間半、守備や打撃を指導した。

 「今考えたらすごくグラウンドがぼこぼこだなと(笑)。寒いけれど、これが当たり前だった。それを思い返すことができました」。侍ジャパンの“MVP男”はすがすがしい表情で話した。

 実家は1ヘクタール(50メートルプール8個分)ほどの広さの「外崎りんご園」。1991年9月の台風19号(通称・リンゴ台風)では、りんごの8-9割が落下。18キロのりんご箱2000個分が甚大な被害を受け、多額の借金を背負った。

 翌92年12月に修汰が誕生。「小さい頃は(家計が)苦しいとか、分からなかった」という長男の小学生時代は、やんちゃそのもの。「下に落ちていたりんごを投げて、お父さんに怒られた。雪が降ってパンツがびしょびしょになっても鬼ごっこや雪合戦をしていました」。両親の手伝いで満杯のりんご箱を運び「けっこう重いので、筋トレになったかな」と振り返る。

 その頃から野球に夢中になり、父・日出城(ひでしろ)さん(56)が買ってくれたグラブは、中学、高校の6年間で何度も修理しながら使い通した。今もお守り代わりに東京の自宅に飾っている。

 弘前に帰省する際には、必ず足を運ぶ場所がある。「弘前白神シニア」のコーチだった木村裕之さん(52)が経営するスポーツ用品店「Zeo-m」(ゼオーム)だ。「指導したというよりも一緒に野球をやった仲間ですね」と当時を懐かしむ木村さん。店内にはグラブをはじめ、外崎グッズが並ぶ。かつてのチームメートと昔話に花を咲かせ、励まされ、ここに寄るたびに野球への情熱を思い起こさせてくれる。

 木村さんいわく、中学時代の外崎は「目を離すとバック転、バック宙をするサルみたいな奴」。その身体能力は抜きんでていたという。当時は捕手で、県内屈指の強豪校・青森山田高からも声がかかった。

 それでも、「仲間と甲子園を目指そう」と、地元の弘前実高に進学。冬は雪上サッカーに加え、雪上ランニングが日課だった。膝上まで積もった雪をかき分けて走路を作り、長靴で競走。「どれだけ体勢を立て直せるか。めちゃくちゃキツイけど、体幹は強くなりました」。甲子園出場はならなかったが、雪国ならではのトレーニングが、りんご園で鍛えられた肉体をさらに強化していった。

 気になるのは「りんご園」の跡継ぎ問題だ。日出城さんは「現役引退後に本人が『やりたい』といえば、お願いしたいね」と笑った。そのやさしいまなざしで、りんご園から息子のプロでの活躍を見守っていく。

■外崎 修汰(とのさき・しゅうた)

 1992(平成4)年12月20日生まれ、25歳。青森・弘前市出身。弘前実高から富士大を経て2015年ドラフト3位で西武入団。同年のイースタン・リーグでは27盗塁で盗塁王。昨季は内野手登録ながら主に外野でレギュラーに定着した。同オフのアジアプロ野球チャンピオンシップでは日本代表に選出され、MVPとベストナインに輝いた。1メートル77、75キロ。右投げ右打ち。既婚。年俸2700万円。背番号5。