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【二十歳のころ 大西卓哉(3)】最後の最後の仕事…パイロットの道へ

1/11(木) 15:00配信

サンケイスポーツ

 大学(東大工学部・航空宇宙工学科)3年からのめり込み、物づくりの楽しさを学んだ「鳥人間コンテスト」ですが、ここで初めてパイロットのすごさも知りました。

 「鳥人間」のパイロットって、ものすごくきついんですよ。動力部門ではペダルをこいで、人の力で飛行機を飛ばす。これは思っている以上に大変なことで、一般の人だったら負荷のかかるなかで2分間はもたない。

 元競輪選手をつれてきていたトップチームもあったほどです。体重も軽くなきゃいけない。僕らの時代は50キロに満たない仲間がいて、彼をパイロットにして筋力トレーニングばかりさせていました。体重制限があって、自分はなれませんでしたが、パイロットは一年間汗水たらしてつくりあげた機体を実際に飛ばして、結果につなげるのが最大の役目。最後の最後の仕事。そこにひかれましたね。それが就職にもつながっていきます。

 当時、航空会社の採用で自社養成パイロット制度というものがあって、ちょうど募集していたんです。自分の会社で育成して旅客機のパイロットにするもので、可能性のひとつとして受けたら、運よく全日本空輸(ANA)に採用していただいた。駄目だったら大学院で航空宇宙工学の勉強を続けるつもりだったから、就職活動はパイロットだけでした。日本航空(JAL)にも応募しましたが、試験が始まる前に当年度の採用を凍結するという連絡があって受けられませんでした。

 宇宙飛行士も、いよいよ最後の最後に乗り込んで仕事をする共通点があって、「鳥人間」からつながるターニングポイントだったかもしれない。理論の世界ではなく、現場の仕事のおもしろさっていうのかな。

 自分にはステップを経てこういう仕事をやって、その先に宇宙飛行士を目指す、というようなロードマップはあまりなくて、そのときどき、その場その場の興味、周りの環境で変化しながらやってきました。

 勉強もそう。僕が理系へ進むきっかけをくれたのは高校(神奈川・聖光学院中、高校)の物理の鈴木敏夫先生。物理のおもしろさは世の中の現象に説明がつくことです。例えば、机の上で消しゴムをピンと弾くとしばらく進んで止まる。子供のころ、よくやりますよね。それも、初速を与えて摩擦がなければそのままずっと飛んでいく。でも、摩擦があることで徐々に減速して、初速で決まる位置に止まります。鈴木先生は放課後遅くまで僕の質問攻めに本当に根気よくつきあってくださいました。

 それで、物理が得意科目になったことも大きかった。ひとつ得意科目ができることで、自信が生まれる。それが、ほかの科目にも影響していきました。こんな例えもあります。『ハンカチの真ん中を持ち上げると自然とまわりもついてきて持ち上がる』。一人の先生によって、航空宇宙工学へつながる学習の底上げができた気がします。 (あすへ続く)