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【ちば新春人物記】“伝説のスタートダッシュ”のモデル・岡本政彰さん

1/12(金) 7:55配信

産経新聞

 ■五輪ムード高めた勇姿

 昭和37年3月の夜の東京・国立競技場。無人のスタンドに号砲がとどろいた。100メートルトラックに飛び出す6人の男。東京五輪の開催が迫っていることを人々に印象付けた伝説のスタートダッシュポスター誕生の瞬間だった。大役を務めた6人のうちの一人が、流山市江戸川台西の岡本政彰さん(80)。2度目の東京五輪を前に、このポスターが再び注目されている。

 ◆疲れ果てるまで撮影

 躍動感あふれる構図の奥から2人目に岡本さんの顔と靴下をはいた足が写る。熊本県出身。名門県立済々黌(せいせいこう)高校で本格的に陸上を始めた。「運動より勉強」との父の反対にも、「走ることにかける」と信念を曲げなかった。練習に励んだ岡本さんは記録を伸ばし、九州では負け知らずの短距離選手に成長した。

 早稲田大に進学し、1年の時に全日本学生選手権の100メートルで4位入賞。実業団の強豪リッカーに進んだ。ポスターモデルの話は、メルボルン五輪に出場したリッカーの先輩、故・潮喬平選手から受けた。

 日米3選手ずつ集まった撮影で、岡本さんは潮選手と並んだ。夜のトラックで「スタート」が繰り返された。「寒い夜だった。前の日が雨で、アンツーカーが少し湿っていた」

 記憶は今でも鮮明だ。本当のレースと思ってスタートしたこと、全力で30メートルほどのダッシュを30~40回繰り返したこと-。「日本人はもちろん、米国人も間違いなく本気だった。終わったときは、座り込むほどの疲れ。しかたなく競技場の近くに暮らしていた姉の家に泊まった」

 ポスターのデザインは亀倉雄策、撮影は早崎治。いずれも故人となった伝説の名コンビだ。閃光(せんこう)電球式のフラッシュが普通だった時代、最新式のストロボが用意されていた。ストロボは発光時間が短く、一瞬の動きを止められる。珍しかったストロボ20台が写真スタジオなどからかき集められたという。

 「選手も撮影スタッフも無言。『スタートを合わせろ』とかの指示は一切なかった。だからああいう写真が撮れた。亀倉さんの狙いはそれだったと思う」と懐かしむ。

 ◆アスリート魂消えず

 9万枚が作られたB全判ポスターは人々の心を捕え、世界の人々を迎えるという日本人の期待感を刺激し、五輪ムードは一気に高まった。自身はけがで五輪出場を果たせなかったが、ポスターで五輪の意義と魅力を伝える大役を果たした。

 「けがで競技を断念、陸上から離れた時代もあった」という岡本さんにとって、スポーツの魅力を再び気付かせたのも、久しぶりに見たこの五輪ポスターだったという。「大切な人脈も全てスポーツが作ってくれた」と話す。

 昭和51年に流山市に引っ越した。だから流山での暮らしが一番長い。妻の陽子さん(77)とは登山が共通の趣味だという。

 「平昌(ピョンチャン)冬季五輪でメダルラッシュを実現、勢いを2020東京五輪につなげてほしい。100メートル決勝に何人もの日本選手が並んでほしい」と期待は膨らむ。

 今も週3回、2時間半、自宅近くのスポーツジムで汗を流している。「100歳になって、100メートルを20秒を切る世界新が出せたらうれしい」。スタートダッシュポスターを撮影した当時の「アスリート魂」は健在だ。(江田隆一)

最終更新:1/12(金) 7:55
産経新聞