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<阪神大震災23年>悔恨と教訓、後輩へ 宝塚市職員60人

1/12(金) 14:30配信

毎日新聞

 阪神大震災で118人が犠牲になった兵庫県宝塚市が当時の対応に当たった職員らからメッセージを募り、さまざまな思いの約60通が寄せられた。「家族を置いて出勤するつらい体験だった」。心の中にしまい込み、初めて吐露したものも多い。市は震災23年の17日、追悼事業で披露する。

 全職員約2170人の6割以上は震災後に採用され、災害に直面した苦労を知らない若い職員も多い。教訓を引き継ぐために、昨年10月中旬から12月上旬、メッセージを募った。

 <消防の持てる力をはるかに超えた大震災。職員の多くは被災した家族を残したまま出動した。やっとの思いで救出した人の多くは、亡くなられていた>

 3年目だった消防司令(45)は匿名でメッセージを寄せた。がれきの中から3、4人を救い出したが冷たくなっていた。東日本大震災でも生きた人を救うのは難しかった。「期待に応えられず、自分たちの力の小ささを感じた。当時の様子を少しでも分かってもらえればと思う」と話す。

 市きずなづくり室長の古家健志さん(53)は9年目で広報担当だった。

 <宝塚警察署から「死傷者多数、遺体は総合体育館に搬送」と知らされ、戦慄(せんりつ)が走った>

 市民や報道機関の問い合わせに答えようと情報収集に走ったが、どの部署も混乱していた。必要な情報を伝えられるよう「日ごろから備えるように」と後輩に伝えたかった。「当時を知る職員も減り、震災の話をする機会も減った。体験を共有できる意味は大きい」

 重度障害児を一人で育てていた男性職員は当日、子どもを置いたままではどうしても出勤できなかった。

 <そのことが今でも心の隅に「棘(とげ)」として刺さったままで、今でもうずく>

 メッセージを集めた市総合防災課の金沢優真さん(28)によると、震災1年後に同様の記録集を編集したが、その後は作っていない。金沢さんは「先輩がどう向き合ったか同じ目線で知ることができ備えが大切と改めて思った」と話している。

 17日に同市末広中央公園である「祈りのともしび」で午前5時46分に黙とうをささげ、メッセージをモニターに映し出す。市ホームページにもアップしている。【石川勝義】

最終更新:1/12(金) 16:14
毎日新聞