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2030年に再び危機が訪れる可能性 「ニッポン国VS泉南石綿村」ドキュメンタリーの鬼才が見たアスベスト訴訟

1/12(金) 7:00配信

AbemaTIMES

(C)AbemaTV

 知らず知らずのうちにアスベストに侵され、重い病との戦いを余儀なくされた人たちがいる。なぜ、社会問題に発展するまで使用や製造を止めることができなかったのだろうか。

 アスベスト(石綿)は繊維状の天然鉱石で、耐熱性・絶縁性・保湿性に優れていることから「奇跡の鉱物」と呼ばれ、ドライヤー、魚を焼くための網、理科の実験器具などにも使われていたほか、戦前から建設資材を中心に自動車や造船など様々な用途に使用され、日本の高度経済成長期を支えた。しかし、ひとたび体内に吸い込むと、肺がんや中皮腫を発症させる危険性を秘めており、潜伏期間は数十年とも言われている。いつしか、「静かな時限爆弾」と例えられるようになった。

 その危険性は70年以上前から把握されていたが、すでに幅広い分野で活用されていたこともあり、国は規制や対策を後回しにしてきた。ついに社会問題として注目を集めたのは、2005年のこと。同年6月、大手機械メーカーのクボタが、旧自社工場の従業員・周辺住民などに、アスベストが原因と見られる疾患での死亡者が78名いたことを発表した。世に言う「クボタショック」だ。「もっときちっと対応できればよかった」。同年7月、細田博之内閣官房長官(当時)はそうコメント、小池百合子環境大臣(当時)も「実態を把握する上で、一体何が有効なのか検討し、専門家グループにおける検討・助言を頂戴していきたい」とし「環境省アスベスト専門家会議」を設置した。

■「40年間かけて絞め殺すようなもの」

 「腹が立つのは、『高度経済成長期に厳しく規制したら産業の発展が遅れるから仕方がない』と」と語るのは、損害賠償を求めて国を提訴した原告団の共同代表・岡田陽子さん(満62歳)。

 岡田さんが生まれた大阪府泉南市は、戦前から全国屈指のアスベスト工場の集積地だった。1900年頃から操業を開始したアスベスト工場には職を求めて多くの人がやってきた。岡田さんの両親も、1940年代頃から工場に勤務、大量生産時代の1956年に誕生した岡田さんは、工場で長時間働く母親の傍で赤ちゃん時代を過ごしていた。

 後に看護師になった岡田さんだったが、30歳を前にアスベスト肺を発症、常に酸素吸入器が手放せない状態の生活を強いられている。両親も同じ病に苦しみ、父親は亡くなった。「子どもが若すぎるので負担をかけたくない。重荷になるのがすごくつらい。母親にはかわいそうだと思うが、『先に逝くからね』とすぐ言ってしまう」と涙ながらに話す岡田さん。母の闘病生活を支える息子は「うまいこと酸素を吸えていない。よく真綿で首を絞めるという表現があるが、ずっと絞めているような状態。10年間、40年間かけて絞め殺すようなもの」と話す。

 原告団は、2014年10月9日に最高裁で勝訴を勝ち取ったが、全ての被害者が補償の対象になったわけではない。和解内容は「1958年5月26日から1971年4月28日まで工場でアスベストに曝露する作業に従事した労働者」「アスベスト関連疾患に罹患した」などが条件。工場内で長時間アスベストに曝されていた岡田さんだが、「労働者」には該当しないため補償の対象にはなっていない。「ひとつ区切りはついたなという感じだが、終わったという感じはしない」。

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最終更新:1/12(金) 7:00
AbemaTIMES