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<健康格差>胸のしこり見過ごした44歳女性の窮乏

1/13(土) 9:30配信

毎日新聞

 高度成長やバブル経済を経て日本社会は豊かになったはずでした。ところが失われた20年を経て、広がる格差と深刻な貧困が私たちの健康を脅かし始めています。収入や階層、職業の違いでなぜ健康や命の価値が左右されるのか。「貧困クライシス 国民総『最底辺』社会」(毎日新聞出版)「下流老人」の著者で、貧困支援のNPO法人「ほっとプラス」代表理事の藤田孝典さんに健康格差の実態を聞きました。【毎日新聞医療プレミア】

 ◇命を削って働く非正規女性たち

 --収入や経済環境による「健康格差」が進んでいると指摘されています。藤田さんが運営するNPOにも、貧困であるがゆえに、医療にアプローチしにくい人たちが多く相談に来ると聞きました。

藤田さん 医療に関する相談はとても多く寄せられます。特に目立つのが女性です。30~40代の独身で、非正規雇用で働く、単身世帯の女性の相談です。彼女たちの多くが、体の不調を抱えていても病院で診てもらわず、働き続けています。

 --なぜ病院に行かないのでしょう?

 ◆相談者A子さん(44)の例を紹介します。A子さんは埼玉県内でパートタイムの事務職の仕事をしていましたが、少し前、胸にしこりがあることに気づきました。腹痛など体の違和感も抱えていました。でも、なかなか仕事を休めず、また休むと収入が減り、医療費もかかるため、病院に行くのをためらっていました。

 パートタイムの手取り収入は1カ月14万~15万円、アパートの家賃は月7万円弱。貯蓄も20万円ほどしかなく、余裕はありません。「病気が見つかるとお金がかかる」と思って、がまんして働いていたそうです。

 --低い賃金で働くA子さんのような女性は、病院に行くことも治療で仕事を休むこともためらってしまうんですね。

 ◆日本には、低い賃金ながら誇りを持って働き、税金を納め、日々の小さな喜びを支えにつつましく生きるA子さんのような女性がたくさんいます。しかしひとたび病気になったり事故に遭ったりすると、生活は崩壊します。

 仮に非正規で働いたとして、収入は東京23区内で月20万円弱、地方で10万円強程度でしょうか。その中から家賃や生活費、光熱費を出すと、手元には数万円しか残りません。単身女性が1人で暮らすのは大変に厳しいことです。わずかな出費も抑えたいでしょう。シングルマザーも同様です。

 特にA子さんのようにパートタイムの仕事は時給制ですから、仕事を休んで病院に行くだけで収入が減ります。痛みに耐え、診察を先延ばしにして働き続ける女性はたくさんいると思います。

 ◇非正規でも有給休暇を取って病院に行ける

 --しかし、胸のしこりを放置すると命にかかわります。

 ◆その通りです。お金がないからといって、受診や治療を受けないでいいはずがありません。A子さんには「非正規雇用であっても有給休暇を取得できますから、仕事を休んで病院で検査を受けてください」とアドバイスしました。仕事を休んでも賃金が減らないことを知って、少しほっとした様子でした。

 結果は、やはり乳がんでした。また腸や肺にも転移していました。すぐに入院して手術を受け、療養生活に入りました。しかし問題は医療費です。

 仕事を続けられなくなり、A子さんは仕事を辞めざるを得ませんでした。20万円しかない貯蓄では医療費を全額支払うことができません。そこで、再発しないようにしっかり療養に専念するために、生活保護を申請してもらうことにしました。

 --病気で仕事を辞め、収入がなくなっても、生活保護を使って健康回復を待ちましょうという助言ですね。

 ◆抵抗感があったのでしょう。最初は申請を嫌がっていましたが、それしか方法がないことを納得し、受給しました。医療扶助が適用されて、自己負担なしで治療を受け、3年たったいまは幸いにも再発はなく、健康を回復しています。

 ◇早めの受診、各種制度の利用を

 --たとえ正社員であっても、賃金が低かったり貯金が少なかったりすると、医療への支出をためらうでしょうね。

 ◆短大卒業後、すっと同じ会社に正社員として勤めているB子さん(当時38歳)が数年前、相談に来ました。ずっと偏頭痛の症状があり、そのたびに市販の鎮痛剤を服用していました。やはり、お金が心配で病院に行かなかったといいます。

 ある日、市販薬を飲んでも頭痛が続き、ようやく病院で検査を受けたところ、頭部に腫瘍が見つかったのです。すぐ入院し、手術を勧められました。治療を始めて3週目に入ったころ、治療費支払いや退院後の生活への不安から、私たちのNPOに相談に来ました。

 B子さんは正社員として十数年同じ会社に務めているにもかかわらず、月収は17万~18万円と少なく、貯蓄も20万円ほどしかありませんでした。手術を受けるうえ、手術後の1カ月の見込み医療費が6万~7万円かかると聞いて、不安に押しつぶされそうになったそうです。しかも、入院がいつまで続くか分かりませんでした。

 --たとえ退院しても、その後の生活が大変ですね。どうアドバイスしましたか?

 ◆比較的大きな病院には、各種制度を熟知する医療ソーシャルワーカーや医療相談員が常駐しています。その人たちに相談するようアドバイスしました。

 医療相談員は制度の使い方や条件をよく知っています。医療相談員さんと連携しながら、高額療養費(手術などで医療費がかさんだ場合、窓口での支払いを一定額以下にとどめる制度)などを活用しました。

 また、会社に勤めている人は、病気で休んだ場合、加入する医療健康保険で「傷病手当金」の給付を受けられます。

 --病気で会社を休んでも、お金をもらえるんですか?

 ◆傷病手当金は、仕事以外の理由で病気になったりけがをしたりしたとき、治療や症状を落ち着かせる間の報酬を保障する制度です。休んで収入が途絶えても、1日あたり標準報酬の3分の2が最長1年6カ月給付される制度です。会社の健保組合か、協会けんぽの健康保険に加入していればだれでも使えます。

 収入がなくなることを恐れて仕事を休まず、病院に行かないで病気を見つけられなかったら大変です。病状が悪化してより重大な事態になる前に、ぜひ使ってほしい制度です。

 ◇病院に行かず、市販薬でがまんする「潜在患者」

 --A子さんもB子さんも、もっと早く病院で診てもらっていればと思えてなりません。

 ◆ここ十数年の雇用構造の変化は人々の健康に大きく影響しています。長時間労働の人も非正規雇用の人も、休むと収入が減る、家計を圧迫するので病院になかなか行きづらくなっています。もし病院に行って大きな病気が見つかったら生活できなくなるかも、という恐怖感もあるでしょう。

 非正規雇用や時給換算の仕事の人は、仕事を休んだら収入が減り、生活に支障をきたします。病気かもしれないとうすうす感じていても、診察を受けないでドラッグストアで買った市販薬で済ませるのです。

 市販の痛み止めを服用している相談者は非常に多い。多少の痛みは一時的にごまかせますから。受付から診察、支払いまでトータルで4~5時間はかかる受診で失う収入は、彼ら彼女らにとってそれほど大きいのです。症状があってもがまんする、目をそらす、病院に行かないでやり過ごそうとする「潜在患者」はかなり多いと思います。

 低所得の人が医療費を惜しみ、病院に行かないことで、「健康格差」は静かに社会を覆い始めています。安いファストフードやおなかがふくれる炭水化物を多く取る低所得の人たちが、肥満や糖尿病のリスクを高めているのも同じ現象です。単に医療の問題ではなく、社会として横断的な対策が必要です。(聞き手、ライター・本多カツヒロ)

最終更新:1/13(土) 9:30
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