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<百貨店>川越・丸広「首都圏で2カ所だけ」の集客装置

1/13(土) 9:30配信

毎日新聞

 地方各地の百貨店が集客や売り上げで苦戦しています。そうした中、埼玉県川越市の地場百貨店である丸広百貨店川越店は、首都圏で2カ所だけとなった「屋上遊園地」を集客装置に多くの買い物客でにぎわっています。神戸国際大学の中村智彦教授が訪ねて実際に見た同店の強みを報告します。【毎日新聞経済プレミア】

 首都圏の百貨店で、観覧車などのある屋上遊園地が残っているのは、実は2カ所しかない。一つは、東京都大田区のJR蒲田駅直結の東急プラザ蒲田である。ここは、2014年にいったん閉園したものの、来店客からの要望が多く、同年に再開した。

 そして、もう一つが埼玉県川越市の地場百貨店である丸広百貨店川越店だ。同店の屋上遊園地のオープンは、現在の店舗が増築されたのとほぼ同時期の1968年にまでさかのぼることができる。立地にも恵まれる同店は、屋上遊園地が「集客装置」となり、今でも親子孫の3世代や親子の2世代の客の姿が多い。訪ねて実際に見た同店の強みを紹介する。

 ◇創業者の先見の明

 川越は今や一大観光地となり、年間の来訪客数が700万人を超す。約20年前は300万人台だった。決して知名度が高くなかった近郊都市が、短期間で来訪客数を約2倍に伸ばした事例はまれだろう。近年のレトロブームも追い風となり、「蔵の街・川越」には平日でも国内外から数多くの観光客が訪れている。

 歴史的に見ると、川越のもともとの商業集積地は、現在観光地となっている蔵の街エリアだった。今は、ほとんどの店舗が観光客相手の商売を行っている。

 丸広百貨店の創業者・大久保竹治氏は、1960年代に「近い将来、自家用車が普及し、百貨店は大型駐車場を保有しなければならない」と考えた。当時の商業集積地から南に1キロほど離れた現在地に広大な敷地を確保し、川越店と駐車場を構えた。

 創業者の先見の明の正しさは、その後の年月の流れが証明している。川越店は、クレアモールと呼ばれる商店街に面し、地元の買い物客を中心ににぎわっている。川越の街は他の都市と構造が少し異なり、鉄道駅がJRと東武(川越駅)、西武(本川越駅)で1キロ程度離れたところに位置している。両駅を結ぶようにクレアモールがあり、それが商店街の活気を維持してきた理由の一つと言える。

 ◇大食堂と屋上遊園地のにぎわい

 12月初旬の平日の昼ごろ。川越店6階の大食堂「ファミリーレストラン」には、多くの食事客が詰めかけていた。多くは高齢者だが、親子孫の3世代や親子の2世代の客も目にする。こうした光景を百貨店で見ることは、今では珍しいだろう。

 川越店の7階に当たる屋上遊園地も訪ねてみた。お決まりの観覧車や飛行塔などがあり、ペットショップやゲームセンター、さらに歌謡ショーや戦隊ショーが開催できるステージもある。映画やテレビドラマの撮影が多いのもうなずける「昭和の百貨店」の姿だ。幼児連れの家族が観覧車などを楽しみ、写真を撮っている姿がほほ笑ましい。

 蔵の街・川越はレトロを売りにしており、屋上遊園地や大食堂なども同じコンセプトで活用できる可能性がある。実際ネット上では、丸広百貨店の屋上遊園地に関する投稿が多く見られる。

 ◇家族で百貨店に行く習慣を作る装置に

 この連載では、千葉市、名古屋市栄、仙台市、山形市の地場百貨店の苦戦を伝えてきた。

 筆者は他にも各地の地場百貨店を訪ねてきたが、「よくこんな客数で維持できているな」と驚く店舗が大半だ。地元の人に聞いても、「客よりも店員の方が多かったでしょう」と言われるのがお決まりのパターンである。

 また多くの百貨店では、屋上遊園地や大食堂を「時代遅れ」として廃止した。代わりに、若い女性に受けるように、屋上はガーデンテラスなどにし、大食堂はテナントのレストランを誘致してきた。だが百貨店関係者からは、「顧客の多くが高齢者で、若い世代の集客がうまくいかない」という意見を多く耳にする。屋上の転換やレストラン誘致が奏功していないのだ。

 その点、丸広百貨店川越店は地の利を生かしつつ、大食堂や屋上遊園地が今も家族で「百貨店に行く」という習慣を作るための装置となっている。この「習慣を作る」という視点からは、サントリーのビール事業の成功事例が思い浮かぶ。次回「百貨店の遊園地とサントリー若者戦略の意外な共通点」では、その事例を紹介し、百貨店の活路について考えてみたい。

最終更新:1/13(土) 9:30
毎日新聞