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1・17対局直後に弟子失う 無念背負う引退棋士

1/13(土) 16:31配信

神戸新聞NEXT

 藤井聡太四段の連勝記録に羽生善治竜王の永世七冠達成と明るい話題が相次いだ2017年の将棋界で、一人の棋士が現役を退いた。兵庫県宝塚市の森信雄さん(65)。約40年間のプロ生活で重ねた公式戦992局の中で、「決して忘れられないが、ほとんど覚えていない」と表現する一局がある。弟子の船越隆文さん=当時(17)=を失った1995年1月17日のことだ。(小川 晶)

 その日の早朝、対局を控えた東京の将棋会館で森さんの目がテレビ画面にくぎ付けになった。神戸の街が燃えている。「宝塚は大丈夫だろう」と切り替え、集中力を高めた。

 対局中に「船越君と連絡が取れない」という妻からの伝言メモが回ってきた。被害の大きさを知らなかったため、不可解に感じながらも、特に気に留めなかった。

 夜遅く、森さんの勝利で決着したが、指した手の記憶はほぼ残っていない。対局直後に手渡されたメモに「船越君が亡くなった」とあった。事情がのみ込めず、一気に動揺が高まった。

 プロを目指す奨励会員だった船越さんは、森さんの勧めで前年春に故郷・福岡を離れた。母明美さん(70)に「机もベッドもいらない。将棋ができればいい」と話し、将棋盤とお気に入りの絵だけを持ち込んだ宝塚市清荒神の木造アパートが崩れた。1人暮らしに目が行き届くようにと、森さんが自宅近くから選び、紹介した物件だった。

 門下生の多さでは将棋界屈指と言われる森さん。羽生竜王のライバルだった故・村山聖(さとし)さんら個性的な面々の中で、船越さんは目立たない存在だったが、ひたむきさ、まじめさは際立っていた。

 地震の前夜には、尼崎に住む友人から「家で遊ぼう」と誘われていた。船越さんは、外泊を禁じる森さんの言い付けを守り、自宅アパートに戻っていた。

 森さんは、弟子を取るのをやめた。地震後に引っ越した際も、宝塚を離れる選択肢は浮かばなかった。思いの一端を、将棋雑誌の寄稿文につづっている。「船越君の無念を思い、生きている者のごうまんさと無力感をかみしめる。これが運命だとしたら、憎みたい」

 一手一手に、これまで以上に気持ちを込めるようになった。数年後には、弟子の受け入れを再開した。明美さんから「息子のためにも、一人でも多くのプロを育ててほしい」と懇願されたためだ。

 昨年5月の公式戦で敗れ、引退が決まってからも、将棋教室を主宰し、弟子の面倒を見続ける。今も、指導方法などで迷うと「船越君だったらどう判断するかな」と考えることがあるという。

 抜きんでた才能があるわけでもなく、藤井四段や羽生竜王のような目立った活躍はできないだろうが、バランスの取れた棋士になっていただろう-。師匠だからこその冷静な視点で、40歳の船越さんを思い描く。

 毎年1月17日には、空き地のまま残るアパートの跡地を門下生とともに訪れ、冥福を祈る。「将棋に打ち込める幸せをかみしめ、気持ちを新たにする場」と話す森さん。「現役を離れても、船越君が私の弟子だったことは変わらないですから」と、今年も来年以降も、追悼を続けるつもりだ。

最終更新:1/13(土) 16:38
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