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絶対不可能と言われた買収の裏側にあった「ハマスタ物語」 前ベイスターズ社長が明かす“ハマスタのドン”への感謝

1/13(土) 14:20配信

VICTORY

2017年12月、“ハマスタのドン”と呼ばれた横浜スタジアム元社長、鶴岡博氏の訃報が届きました。鶴岡氏は、1978年の横浜スタジアム建設に尽力しただけでなく、現在「プロ野球でもっとも集客力のあるスタジアム」といわれる横浜スタジアムの「コミュニティボールパーク化構想」を横浜DeNAベイスターズ初代社長である池田純氏と共に生み出した人物でした。

転機となったのは、球団とスタジアムの一体運営化。「不可能」といわれた球団によるスタジアム買収の一方の当事者である横浜DeNAベイスターズ前社長の池田純氏が、球団社長就任以来、親交を深めてきた鶴岡氏との思い出を明かしてくれました。
(文=池田純)

“ハマスタのドン”と“若造社長”の邂逅

もう、あの声を聞けないことが寂しい。もう関内の街角で出くわすことがないのが、もう酒を一緒に飲むこともないのが、もうベイスターズの愚痴を聞けないのが、めちゃくちゃ寂しい。

本当にお世話になった。父親と息子以上に年は離れているけど、めちゃくちゃうまがあった。

ポケットに片手を突っ込んで、奥さんの選んだしゃれたネクタイでビシッとキメたスーツ姿に、真冬なのにコートも着ずに、これまたしゃれたマフラー一丁を両肩に着流していた。にこやかな笑顔で、「よおっ!」と片手をあげた鶴岡さんに、なぜかよく関内の街のどこかで出くわした。
大人の不良、The横浜といったそのいでたち。
かっこいい。誰がなんと言おうと、僕はめちゃくちゃかっこいいオヤジだと思っています。

すごく楽しかった。
なんでなんだろう。関内の街で出くわすと、話をすると、一緒に酒を飲むと、べらんめえ調ににこやかにドヤされるのが、いつも楽しかった。

僕の大好きな人生の大先輩であり、
僕の正義の味方であり、
僕の横浜の先生であり、
僕のハマスタの友であり、
横浜DeNAベイスターズが始まった時からの僕の盟友であり、
横浜の魂そのものみたいだった鶴岡さん。

初めて会ったのは、2011年12月、中華街でのとある忘年会だった。
銀地に紫がきらめくおしゃれなネクタイ姿で、紹興酒を片手にした鶴岡さんと僕が、“ハマスタのドン”と新生ベイスターズの“若造社長”が、示し合わせたように円卓の隣同士に座わらされていた。
親会社DeNAの執行役員だった私が立候補してベイスターズの社長になることが決まってから、鶴岡さんについて「ヤクザの末裔」だとか「怖い」とか、「横浜を牛耳っている」とか「人の話は一切聞かない」とか、“忖度”という言葉が蔓延した今ではその言葉一つで説明がつくような噂をいろいろと聞かされていたが、初めて本人に出会い、言葉を交わしたのが、その時だった。

「おしゃれなネクタイですね」
最初の最初は、たぶんそんな会話だったように思う。本当にそう思ったから。

たぶん鶴岡さんも、新聞などで伝えられていた35歳の若造のベイスターズ新社長・池田純のイメージに、ちょっと壁を持っていたんじゃないかな。
でも僕らはすぐに、「同じ穴のムジナだな」と感じたように思う。
その後、鶴岡さんと僕は中華街で、和やかな雰囲気で結構な量の紹興酒を夜遅くまで一緒に飲んだ。何とはなしに楽しかった記憶、酔っ払って握手した記憶だけが、今の僕にはある。

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最終更新:1/13(土) 15:56
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