ここから本文です

北原白秋、未公表の手紙2通見つかる 故郷への思いつづる、専門家も評価 福岡県柳川市

1/13(土) 7:36配信

西日本新聞

 詩人北原白秋(1885~1942)が書いた未公表の手紙2通が出身地の福岡県柳川市の民家で見つかった。白秋とともに童謡や校歌を手掛けた作曲家山田耕筰(1886~1965)が1936(昭和11)年に柳川を訪問する際、地元の有力な支援者に歓待を依頼した内容。故郷に宛てた白秋の書簡はほとんど残っておらず、専門家は「柳川への思いがあふれた私信は例がなく、山田来訪の時期が判明した点でも貴重だ」と評価している。

⇒【画像】1928年に撮影された写真、帰郷した北原白秋と川野三郎が写っている

 2通は同年6月15日付と17日付。白秋と同じ年の生まれで柳河商工会会長などを歴任した地元の薬問屋、川野三郎に宛てたもので、いずれも便箋5枚。川野家に保管されていた。

 白秋は15日付で川野に「山田君は七日に大阪港出帆琉球へ行かれ、(中略)柳河は二十一日頃ではどうかとおもひます」「特に山田君の感応に俟(ま)つほかなく、(中略)我が柳河の風物と精神とを御願上ます」などと旅程を知らせ、17日付では「ともかく一つの地方に六つも七つも私たちの詩や曲か歌はれるといふことは全く稀有(けう)のことです」「柳河と白秋との精神的なつながりを耕筰にも十分理会さしたく、是非熱烈なる御歓待を願上ます」(いずれも原文のまま)と川野に厚いもてなしをするよう念押ししている。盟友の山田が故郷柳川への理解を深めるよう願った様子がうかがえる。

作曲家山田耕筰の来訪の時期、明らかに

 山田はこの時期を挟んで白秋の母校矢留尋常高等小学校の校歌や柳河商工会行進歌などを作曲。現在の矢留小の百年誌には山田が36年に訪問し、校歌を指導したことが記載されているが、具体的な時期は明らかになっていなかった。

 昨年末、川野家から手紙を寄贈された北原白秋生家・記念館(柳川市)の大橋鉄雄館長は「白秋の故郷への思いは作品でよく知られているが、手紙という形で生の言葉が出てきたことは重要な発見だ」と語り、館内展示を検討している。

=2018/01/13付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞社

最終更新:1/13(土) 7:36
西日本新聞