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<無知の知 「てんかん」という現実>序章 治療の現場で(5・完) 28歳学び、向き合う

1/13(土) 14:50配信

@S[アットエス] by 静岡新聞SBS

 「向き合う」「付き合う」-。てんかんの本やパンフレットには、患者へ向けたこんな文言が並ぶ。国立病院機構静岡てんかん・神経医療センター(静岡市葵区)で治療を受ける川崎祐太さん(28)=東京都町田市=はこの言葉の意味をかみしめながら語った。「僕、変われたと思うんです」

 自身がてんかんだと知ったのは約10年前。脳全体の神経の興奮で起きる「全般てんかん」と診断された。服薬を続けながら、時々で症状が異なる発作に苦しんだ。手足を伸ばし全身が硬くなる時があれば、忙しい時などにぼうっとしたり行動が止まったりすることもあった。

 小学生の時に父親を亡くして以来、ふさぎ込んだ生活を送ってきた。中学も高校も不登校気味。発作が始まったのはそんな時だった。高校を中退して就労継続支援事業所に勤めた。頑張ろうと思っても、体が付いていかなかった。地元の病院で精神的ストレスに起因する「心因性非てんかん発作」を疑われたこともあり、原因を“心の弱さ”に求めた。

 2017年6月。自宅で倒れ、同センターでの入院生活が始まった。

 「つらいです」「限界です」。入院したばかりの頃、祐太さんはそう言って病室にこもった。慣れない場所。初めて会う人たち。緊張で手が震えた。その様子を気に掛けた看護師が祐太さんに提案した患者向け学習プログラム「モーゼス」が、自分を変えるきっかけになった。

 モーゼスはてんかんの基礎知識を学び、自身の心や社会と向き合うドイツ発祥のプログラム。病気と対峙(たいじ)すると、発作の種類や自己コントロールの方法など知らないことが多いと気付いた。看護師から「休みましょう」と言われるまでてんかんについて勉強するほど夢中になった。一緒に受講する他の患者と毎回意見を交わし、人と話す際の緊張感も和らいでいった。

 この入院中に、左側頭葉に原因がある「部分てんかん」の可能性が出てきた。薬の調整をして発作と闘う日々が続くが、気持ちは前向きだ。祐太さんには目標とする人がいる。兄の祥太さん(36)。祥太さんも、右側頭葉てんかんの治療を受けている患者の一人。同じように同センターで治療を受けて発作が抑えられている祥太さんは、1人暮らしや結婚なども視野に入れるようになった。兄の姿に触発され、祐太さんは心に誓う。「自分も進んで行かないと」

 退院を控えた17年暮れ、祐太さんの姿は同センターの理学療法室にあった。額に汗を光らせ、理学療法士の指示で運動に励んでいた。「これってリハビリなんですか。きついっすよ」。その声に室内は笑いに包まれた。

 <メモ>国立病院機構静岡てんかん・神経医療センター(静岡市葵区)は、1926年に創立し結核患者を収容した「静岡市立静岡療養所」が始まり。後に厚生省(当時)に移管し、結核患者の減少により重症心身障害児・者病棟を開設。国立療養所静岡東病院と改称後、74年の七夕豪雨で被害を受けたのをきっかけにてんかん専門病院となった。2001年に神経難病の診療を行っていた国立静岡病院と統合。てんかん診療の拠点施設として、全国から患者が訪れる。病床数は一般(てんかん、神経難病)250床、重症心身障害160床。

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