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スマイルジャパン「氷上のスナイパー」久保英恵が磨き続けたゴールの嗅覚 平昌での初勝利を誓う

2/10(土) 12:10配信

VICTORY

10日、平昌オリンピック初戦を迎えるアイスホッケー日本女子代表、スマイルジャパン。エースFW久保英恵は、五輪の舞台での初勝利を誓っている。ソチで味わった挫折から、今大会の最終予選では全試合でゴールを挙げるなど名実ともにエースとしてチームに貢献した「氷上のスナイパー」はいかにして生まれたのか。その半生を振り返る。(文=沢田聡子)

長野で夢から目標にした五輪の舞台を3大会続けて逃し、一度は引退へ…

「アイスホッケーっていうものを、もっともっと知ってもらえれば」

平昌オリンピック・アイスホッケー女子日本代表のエース、久保英恵はそう語る。

「いまだに『アイスホッケー』って言っても、ピンとこない人もいるので。もっと顔見たら『ああ、あの人アイスホッケーやっている』っていうふうに……。いや、もちろん普通に歩いていて言われるのは嫌ですけど、そのぐらいの認知度があったらいいな、と。夢の話ですけど」

開催国枠で出場した1998年長野五輪以降、あと一歩のところで出場を逃し続けたオリンピックという夢の舞台。アイスホッケー女子日本代表の選手たちがそれでもオリンピック出場を目指し続けてきたのは、マイナースポーツをプレーし続けることの難しさを身に染みて感じてきたからだ。

長野五輪当時、久保は15歳。日本人離れしたシュートセンスを持つFWは、最年少(当時)で日本代表に選ばれるのでは、と注目される存在だった。実際に最終選考まで残ったものの代表入りはかなわず、本番の試合は会場で観戦している。満員の会場は、久保にとっては別世界だった。

「ワクワクしながら見ていた。試合内容とかもほとんど覚えてないんですけど、こういう大きな舞台でアイスホッケーができたらいいな、というふうには思ってました」

長野五輪での日本は、出場した5試合すべてにおいて大差で敗れている。しかし、久保にとっては五輪出場が夢から目標になった大会だった。

しかし、その後日本は3大会続けて五輪出場を逃すことになる。ソルトレークシティ五輪の最終予選ではあと1勝、トリノ五輪ではあと1点、バンクーバー五輪ではあと1勝足りなかった。

2001年2月、スイスで行われたソルトレークシティ五輪最終予選で敗れ、久保はなぜホッケーをやっているのか、とまで思い詰めたという。雪辱を期して迎えたトリノ五輪最終予選(2004年11月、ロシア)を、当時21歳だった久保は「多分ホッケー人生の中で一番いいパフォーマンスができていた時期」と振り返っている。最終戦のロシア戦は、引き分けでも五輪出場権を得られる状況だった。1-3とロシアに2点リードされて迎えた最後の第3ピリオドは、その半分以上の時間が日本のパワープレー(相手のペナルティによる数的優位の状態)となる。体力の消耗が激しいアイスホッケーでは、セットと呼ばれる計5人(FW3人・DF2人)のグループが交替してリンクに乗り、一人のプレーヤーの連続プレー時間は1分前後に限られるのが普通だが、この大一番の最終ピリオド、エースである久保は異例の長さで氷に乗り続ける。しかし日本はなかなかロシアのゴールを割れない。試合の残り時間が1分を切ったところで2点目のゴールを決めたのは久保だったが、日本は1点差を詰められず、トリノへの切符を手にすることはできなかった。

バンクーバー五輪の最終予選、日本は最終戦で敗れ五輪本大会への出場を逃すが、その時久保は代表に招集されていなかった。所属するクラブでは3連覇を果たしたが代表復帰はかなわず、膝のけがも重なって久保は引退を決意する。

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最終更新:2/13(火) 19:27
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