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語り継がれる「舟盛り」の起源とは? 舟型の器に魚介類を盛るようになったきっかけ

2/11(日) 19:11配信

乗りものニュース

「舟盛り」は江戸時代から?

 居酒屋などでおなじみの「舟盛り」。和船をかたどった大きな器に様々な魚介類の刺身を盛り付けるというスタイルで、日本国内ならどこでも見られ、特に珍しいものではないといえるでしょう。

【写真】各地に再現模型が残る「北前船」

 しかし一説によると、その発祥は明確で、考案者の名前も伝えられているといいます。それによると、考案されたのは1840年ごろ、徳川幕府の12代将軍 徳川家慶の時代で、場所は現在の福井県坂井市三国町。同町は古くから日本有数の港町として栄えた三国湊で知られます。考案者の名前は、伊藤五右エ門(ごえもん)さん。その末裔(まつえい)である男性に話を聞きました。

――舟盛りの起源について、伝えられているお話はどのようなものなのでしょうか?

 先祖である五右エ門と近隣に住んでいた山崎造船所の船大工・山崎甚兵衛(じんべえ)さんが相談し、舟のかたちの容器をつくり、真鯛や大いわしを盛り、越前福井の17代目藩主 松平茂昭(もちあき)をもてなしたという話が、先祖代々語り継がれています。

 越前福井の16代目藩主、松平春嶽(しゅんがく)が安政の大獄で失脚した際、春嶽には息子がいなかったため、越前福井の17代目藩主として、越後糸魚川藩から茂昭を養子にもらうことになりました。そのもてなしをする役目を担ったのが、当時村で村長のような立場を担っていた先祖であったと聞いています。

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 なお三国湊には当時「北前船」が発着していました。北前船とは江戸時代から明治時代にかけ、日本海、瀬戸内海をへて大坂(大阪)へいたる西廻り航路に就航した商船のことです。蝦夷(北海道)や日本海側各地と大坂とを結ぶ海運をになっていました。「舟盛り」の舟のモデルについて男性は「北前船の可能性もあるかもしれませんが、定かではありません」と話します。

乗りものニュース編集部