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[引退インタビューvol.2]中川和之、波乱のキャリアを語る「アメリカでの失敗から学び、再スタート」

2/12(月) 12:30配信

バスケット・カウント

体験したすべてをメモしたナイキキャンプ

取材=古後登志夫 構成=鈴木健一郎 写真=TSO


誰よりも個性的な男がコートを去った。1982年、山口県生まれの中川和之は専修大4年次にアメリカへと渡り、ABAでプロバスケ選手となった。強烈な個性で見る者を魅了し続けてきたが、東京アースフレンズZでの2年目のシーズン途中で引退を発表。セカンドキャリアの一歩を踏み出した彼に、しばし後ろを振り返ってもらい、濃密だった現役生活と今の心境を語ってもらった。

──この数年でポイントガードとしての感覚が研ぎ澄まされてきたという話がありました。ポイントガードとして長くプレーして感じ取った『極意』のようなものは何ですか? 

プレーヤーが安心して見ていられる選手です。安心できて「こいつとはプレーしやすい」と思わせられれば、チームをうまくフローさせられます。そうなるとプレッシャーを受けてオタオタしているようなガードでは難しい。若い選手はガンガンプレッシャーをかけてきますが、俺もそれに対して「こうやればファウルがもらえる」という知識をつけ、感覚としても対処できるようになると、若い頃にやっていたようなつまらないターンオーバーが一切なくなりました。少ないドリブルで状況をクリエイトできるし、これは面白いと。それだけに、体力のある時にできなかったのが悔やまれます。

──中川兄弟と言えばハンドリング、シュートで、クリエイトする部分での評価がすごく高かったです。学生時代に何か特別な転機はありましたか? 

高校2年の時のナイキキャンプです。それまではドリブルが下手でコンプレックスの塊でした。毎日残って練習して、どうやったらうまくなるのか試行錯誤する数年間があって、そこでたまたま東京のナイキキャンプに呼ばれて、ジェイソン・ウィリアムズに直接指導してもらいました。ポール・ピアース、アブドゥル・ラヒームとか他にも有名な選手もたくさんいて、それは人生において衝撃でした。

他の選手はみんな「すごかったね」で終わりだったと思うけど、俺は山口の家に帰った瞬間に、言われた言葉や見たこと感じたこと、記憶にあるものすべてをメモしました。全く同じドリルを一生やっていくつもりだったんです。ドリブルがつけるようになったのは、そこからです。もともと感覚的に描いていたものがうまくつながって、そこから面白い選手になれました。

──専修大の黄金世代への思い入れはどんなものですか? 

専修大がなければ今の自分は200%ないですね(笑)。高校までは上下関係がない学校にいて、先輩から「あの2人に言葉遣いを教えろ」と怒られるところから始まりました。意外に人見知りだったから、そういったところも典型的な大学デビューです。当然バスケットもすごく高いレベルでやる中で、試合なんか出れるわけないと思っていたのですが、毎日の練習をヒイヒイ言いながら死ぬほど頑張って、自主練の鬼にもなって。それで人としてもプレーヤーとしても成長させてもらいました。

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