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蝉丸の絵姿さまざま、実像は謎 

2/13(火) 17:00配信

京都新聞

 一度聞いたら忘れられない名前。物思いにふけるかのような絵姿。「お坊さんめくり」では家庭や各地で特別ルールがある蝉丸は、盲目の琵琶の名手、醍醐天皇の皇子、親王の雑色(ぞうしき)などと伝わるが、実際は平安前期を生きた人物という程度で実像は謎に包まれている。かるたに描かれる姿も頭巾姿だったり、丸刈りに僧服だったりと、制作元によって違っている。
 全日本かるた協会公認の百人一首を製作する老舗「大石天狗堂」(京都市伏見区)の蝉丸は、頭巾姿でまぶたを閉じた姿で描かれている。9代目社長の前田直樹さん(38)は「いつからこの絵だったかは分からないが、『光琳かるた』でも同じですよ」と話す。江戸時代中期の絵師尾形光琳作で、現存する小倉百人一首の中でも最も華麗とされる「光琳かるた」のレプリカにも、頭巾姿の蝉丸がいた。
 一方、花札やトランプとともに創業当初から百人一首を製作する任天堂(同市南区)が作る百人一首の蝉丸は、丸刈りだ。後ろ姿で表情は分からないが、法衣のけさを着ている。「歴史的なことを話せる社員がいない」(広報)とのことで理由は分からないが、任天堂の札なら「お坊さんめくり」では僧侶札の一枚として扱われるだろう。大正期創業の田村将軍堂(同市伏見区)は、頭巾姿で目を開けた蝉丸の札を作り続けている。
 平安時代の説話集『今昔物語』や鎌倉時代に成立した『平家物語』で、琵琶の名手として登場する蝉丸。天皇の皇子ながら盲目ゆえに逢坂山に捨てられたという伝説は、繰り返し語り継がれてきた。能「蝉丸」では、放浪する姉逆髪(さかがみ)との悲しい再会が、近松門左衛門の作品では、天性の美男ゆえに恨まれ、目が見えなくなった蝉丸の開眼譚(たん)がつづられる。
 音曲芸道の祖神として蝉丸をまつる関蝉丸神社(大津市逢坂1丁目)に電子データで保管される蝉丸像は頭巾姿だが、細かな表情までは読み取れない。江戸時代、いわれのない差別を受けていた説教者(雑芸人)の身分証だったとみられ、大阪市立大名誉教授(芸能史)の阪口弘之さん(74)は「琵琶法師の最高位だった検校(けんぎょう)の格好に似ているようだ。蝉丸を祖と仰ぐ琵琶法師は蝉丸も盲目だと信じていたし、説教者は晴眼だと考えていた。信奉者によっても思い描く蝉丸の姿は違うのでは」と話す。
 同神社の橋本匡弘宮司(42)は「何者か分からないところに魅力があるのでは」と推測する。「どんなルールになっていたとしても、蝉丸さんが皆に親しまれているのがありがたい」と、しみじみと話した。

最終更新:2/13(火) 17:00
京都新聞