ここから本文です

高倉照幸氏が83歳で死去、西鉄「流線型打線」1番

2/13(火) 7:54配信

日刊スポーツ

 西鉄ライオンズの黄金期を支えた高倉照幸氏が、12日午前、福岡市内の病院で死去したことが分かった。83歳だった。

 熊本商から西鉄入りし、俊足強肩を誇る右打ちの外野手。「野武士軍団」といわれた西鉄を率いた名将三原脩監督のもと、1番打者として、54年リーグ優勝、56年から3年連続日本一に貢献。1番高倉から、2番豊田泰光、3番中西太、4番大下弘、5番関口清治と続いたオーダーは「流線型打線」の異名をとった。63年には当時のパ・リーグ最多、プロ野球タイとなる6本の先頭打者本塁打を記録。「切り込み隊長」と呼ばれた。西鉄で14年間プレーした後は巨人に移籍して活躍。その後、アトムズ(現ヤクルト)に移籍し、70年に現役引退。最近まで南福岡リトルリーグ会長として野球振興に努めていた。チームメートだった仲間の訃報を聞いた中西太氏(84)は「特に右投手に強いローボールヒッターで、天才的な不動の1番打者でした。当時のことが思い出されるとともに、寂しさがつのるばかりです」としみじみと振り返った。

 ◆高倉照幸(たかくら・てるゆき)1934年(昭9)12月8日生まれ、熊本県出身。熊本商から53年に西鉄入団。54年から中堅のレギュラーとして活躍し、56~58年の日本一3連覇には1番打者で貢献。ベストナイン3度(59、64、66年)。67年に巨人へ移籍し、王、長嶋の後を打つ5番を任された。69年にアトムズに移籍し、70年に現役引退。現役時代は172センチ、75キロ。右投げ右打ち。

最終更新:2/13(火) 8:28
日刊スポーツ