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習志野のエジソン・尾崎将司のアイデアと愛情/ゴルフ昔ばなし

2/14(水) 16:08配信

ゴルフダイジェスト・オンライン(GDO)

20世紀のゴルフシーンをゴルフライターの三田村昌鳳氏とゴルフ写真家・宮本卓氏が紐解く「ゴルフ昔ばなし」は第4回に突入です。尾崎将司選手は30代での大スランプを乗り越え、プロで100勝以上(日本ツアー94勝)をマーク。その舞台裏にはゴルフを極めんとする血のにじむような努力と独創的なアイデアがありました。そして、接する人々への優しさも…。

【画像】伝説の名場面

■優勝したのに…「バカヤロー!」

三田村 尾崎が昔、話していた言葉がある。「勝った時に一番うれしいのは優勝カップを上げた瞬間にほかならない。でも、下ろした時には冷めている」と。どれだけ勝利を重ねても、彼の頭の中はミスショットでいっぱいだった。1989年、名古屋ゴルフ倶楽部・和合コースでの「日本オープン」で、ジャンボは最終日の17番(パー3)でティショットを左のバンカーに入れた後、チップインバーディを決めて優勝した(同ホールで首位のブライアン・ジョーンズに並び、最終18番で逆転)。その日、僕が千葉・習志野の自宅に足を運んだら、午後9時半頃だったにもかかわらず、ジャンボは練習場でボールを打っていた。「あのバンカーショット、すごかったですね」と声をかけたら、「バカヤロー!」ってどやされたよ。「あんなの何万回に1回しか起こらない。あんな偶然をすごいと言うのはおかしい。それよりもオレは、なぜ4Iでのティショットが左に行ったのか、納得したくて練習している」と言った。ゴルフ場から千葉までの帰りの車の中でミスをずっと反省する。みんながワインを飲みながら「おめでとう!」と言う中で、よくひとりだけブスッとしていたよ(笑)。「ラッキーは続かない。だったらミスを減らすしかない」というのが尾崎の考えだった。

■“PS”を作ったのはジャンボだった

尾崎選手は1月に71歳になりましたが、今年もレギュラーツアーでの現役続行を宣言しました。ゴルフは、1ラウンドでキャディバッグに入れていいクラブは14本までという決まりがあります。その構成や1本1本のクラブづくり、練習方法においても、ジャンボは今も執念を見せています。

三田村 尾崎は昨年の試合でもキャディバッグの中に1Wを2本入れていた。けれど、当時のことを考えれば、まったく驚くことではない。
宮本 1Wを2本キャディバッグに入れること自体は昔、フィル・ミケルソンがフェード用とドロー用といった感じで例があったよね。ジャンボさんは“習志野のエジソン”として、アイデアマンとしてもよく知られていた。
三田村 PS、いわゆるピッチングサンドはジャンボが開発したクラブ。昔はPWの次にロフトが寝ているクラブを、SWを立てて作っていた。けれど、尾崎は誰もが「PWとSWの間のクラブ」を必要にすると知っていた。だからその都度作り替えるのではなく、定番にしておくべきだと。それ以降、PSはのちにAW(アプローチウェッジ)とも言われるようになった。いわゆるカーボンシャフトを日本で最初に使ったのもジャンボ。米国のアルディラ・ブランドだった。新しいものに対して絶対にひるまず、自分のゴルフにどれだけプラスになるかを考えていた。
宮本 パーシモンドライバー(木製のウッド)から、メタルウッドへの移行も誰よりも早かった。オーストラリア・ロイヤルメルボルンの練習場で、テーラーメイドのスタッフが持ってきたメタルをカンカン打ち始めたのを今でも覚えている。

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