ここから本文です

高木美帆、ソチ代表落選の挫折から救った“家訓” きょうだい同競技…「家庭内でスケートの話はしない」 平昌五輪

2/14(水) 16:56配信

夕刊フジ

 【平昌(韓国)12日=飯田絵美】スピードスケート女子1500メートルで高木美帆(23)=日体大助手=が1分54秒35をマークし、同競技の女子個人種目では史上初の銀メダルを獲得した。2010年バンクーバー五輪に男女を通じ日本スピードスケート史上最年少の15歳で出場しながら、14年のソチ五輪では代表漏れ。スポーツ界で早熟の天才が伸び悩んだまま終わる例は数知れないが、スケート一家ならではの家訓に守られ、成長曲線を盛り返して自身初の表彰台に立った。

 わずか0秒20差。金メダルにもうひと伸び足りなかった。電光掲示板の数字を確認すると、目を閉じて天を仰いだ。

 「表彰台に立ってみて、改めて1番を獲れなかった悔しい気持ちがこみ上げてきた」

 今季ワールドカップ(W杯)前半戦は4戦4勝。金メダルの最有力候補として大一番に臨んだが、銀盤のレジェンドに表彰台の中央を譲った。優勝のイレイン・ブスト(オランダ)は、スピードスケートで男女を通じ史上最多の五輪通算10個目のメダルを獲得。それでも最終14組目の高木が滑るまで上位3人をオランダ勢が独占していた中に割って入った。

 「この日だけが特別ではない。今までソチ五輪が始まる前から、いろいろな方に支えてもらったので、こみ上げてくる気持ちはあった」

 中学生で五輪に初出場したが、自分に向けられたまばゆいスポットライトに戸惑い、1000メートルは最下位、1500メートルも23位と惨敗した。そして4年後は不振でソチの舞台に立てなかった。

 北海道帯広市の農機具メーカーに勤務する父、愛徳(よしのり)さん(60)が当時を振り返る。

 「相当落ち込んでいたと思うが、涙を見せることはなかった。子供の頃から母親(美佐子さん)に『人前では涙を見せないように』と厳しく育てられ、それを守っていた」

 一方、姉の菜那(25)=日本電産サンキョー=がソチで五輪初出場を果たした。悲喜相半ばだった一家を支えたのは、いつの間にかできあがっていた不文律。兄の大輔さん(26)を皮切りにきょうだい全員が同じ競技に取り組む中で「家庭内で一切スケートの話はしない」ことが習慣となっていた。

 「美帆が15歳でバンクーバーに選ばれたときも何も言わなかった。お姉ちゃん(姉の菜那)がソチに選ばれ、美帆が選ばれなかったときも同じ。スケートにはクラブのコーチがいるわけだから、任せた以上は私たちは何かを言う立場にない。何かを言ったら、そんなつもりはなくても比較したり、評価したりすることになりますから」

 神童も二十歳過ぎればただの人-。そんな古来からの警句に飲み込まれることなく、3人きょうだいの末っ子は家族の支えとともにスランプを乗り越えた。自転車を長時間こぐオランダ流の猛練習で世界の第一線に返り咲き、姉妹そろっての平昌行きを決めた。

 8年越しとなる雪辱の初戦。望みの色ではなかったが、まず1つ目のメダルを手にすると、思わず“母の教え”を破る涙がこぼれた。

 それでも「まだ大会は終わってない。1000メートルと(チーム)パシュートでは、今以上のレースができるように準備していきたい」ときっぱり。姉は5000メートル、新種目のマススタートに出場し、パシュートでは美帆と五輪の舞台での初共演が実現する。姉妹でメダルをいくつ、高木家に持ち帰るだろうか。

 ■高木美帆(たかぎ・みほ) 1994年5月22日生まれ、23歳。北海道出身。札内中3年で2010年バンクーバー冬季五輪出場。1500メートル、3000メートルの日本記録保持者。1500メートルを中心にW杯個人種目で通算7勝。今大会は3000メートルで5位。帯広南商高、日体大を卒業。164センチ、58キロ。日体大助手。姉の菜那も日本代表で、ともに団体追い抜きの主力。

最終更新:2/14(水) 16:56
夕刊フジ