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金正恩の「兄妹政治」…赤いオリーブの枝で平昌を揺さぶる(1)

2/14(水) 15:31配信

中央日報日本語版

金与正(キム・ヨジョン)の2泊3日の滞在に大韓民国が揺れた。青瓦台(チョンワデ、大統領府)の重い門が開かれ、大統領と首相、長官・次官など要人が列を作った。彼女が持ってきた兄・金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長の親書1枚で「平壌(ピョンヤン)首脳会談」の夢がかなう勢いだ。南北関係が急激に変化している。絶対権力者の兄の後光を背にした金与正の対南サプライズイベントは続編を予告している。文在寅大統領に向かって「平壌で早期に会えればいい」と再会を予想したからだ。平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック(五輪)に赤いオリーブの枝を投じた金正恩の「兄妹政治」の狙いと限界は何か。

7年前、父の金正日(キム・ジョンイル)総書記の葬儀で涙を見せた彼女ではなかった。世襲権力の後継者になった兄を少し離れたところから眺めていた姿も見られない。労働党政治局候補委員であり中央党第1副部長となった金与正。彼女は北朝鮮政権の核心であり金正恩の最側近補佐官になったことを韓国に来て誇示した。「信じるものは血統だけ」という兄妹の意気投合の結果だ。

予告は何度かあった。金正日が死去した翌年の2012年11月、北朝鮮国営朝鮮中央テレビには馬に乗った姿の金正恩が登場した。ここには叔母・金敬姫(キム・ギョンヒ)とともに金与正の顔があった。いかなる説明もなかったが、メッセージは明白だった。金正日時代に妹の金敬姫が国際部と軽工業部を経て兄の党の事業を補佐したように、金正恩時代には金与正がその役割をするという示唆だった。彼女が乗った白馬はいわゆる「白頭(ペクドゥ)血統」と宣伝される金氏一族世襲統治の直系を象徴した。対北朝鮮情報関係者の間でも兆候が感知された。金正恩が金与正と兄・金正哲(キム・ジョンチョル)が出席する定期的な会合で統治路線と労働党と軍部の核心人選などを熟考するというヒューミント(humint、人的チャンネルを通じて収集した情報)だった。

権力の風向計を読むのに動物的な感覚を持つ高位権力層の間ではすぐに噂が広まった。「すべての道は金与正同志に通ずる」というのは彼女を通さずには何もできないということだった。少なくとも平壌では金与正が「ローマに通ずる道」より確実な道になった。昨年10月に金正恩が党全員会議を開いて金与正を政治局に入れると、状況は固まった。70余年の労働党歴史上、最年少(当時28歳)政治局候補委員の誕生だ。

平昌五輪が開幕した9日、大韓民国に来た金与正はプライドの高い姿だった。不自然なほど体を真っすぐにし、あごのラインがはっきり見えるほど上向きだった。翌日の青瓦台訪問時は「朝鮮民主主義人民共和国国務委員長」(金正恩)の特命を受けてきたことを全身で表そうとした。現場の演出者はキム・チャンソン元国防委書記室長だ。金氏政権の老かい老獪な執事の彼は誰よりも儀典に通達している人物だ。北朝鮮が「敵区」と呼ぶソウルで金与正がどのように振るまい、絶対にしてはいけない事案を鑑別する随行員として来たのだ。

こうした金与正の姿からも異常兆候は感知された。仁川国際空港に入った彼女は「瞳孔地震」を起こした。密着カメラのアングルは、空港の施設と人波をちらちらと見る20代の訪問客の好奇心をそのままとらえた。平昌冬季五輪の開会式場の華麗な祝祭は彼女の心をさらに揺さぶった。前日の金日成(キム・イルソン)広場の軍事パレードとは対照的だった。ソウルの夜景とKTXの車窓から見える風景も同じだ。「ソウルは初めてだがそのような感じがしない」という彼女の言葉は「正直、見慣れていない風景」という告白として聞こえる。

金与正は北朝鮮政権が向き合っている冷酷な現実も痛感しただろう。国連だけでなく韓・米などの独自制裁まで幾重もの対北朝鮮圧力網が締めつける。彼女が乗って来た古い旧ソ連製イリューシン旅客機(IL-62M)は制裁問題をめぐり最後まで論議があった。一行の崔輝(チェ・フィ)国家体育委員長はもちろん、金与正自身が制裁リストに入った状態だ。あちこちが地雷畑であり、何一つ自由でない状況だ。

1988年のソウル五輪に続き、2002年の韓日ワールドカップ(W杯)開催、2018年の平昌冬季五輪まで開催した大韓民国に比べてみすぼらしい北朝鮮を感じたことだろう。88年の五輪を妨害しようと大韓航空機爆破テロを起こし、W杯当時は西海(ソヘ、黄海)北方限界線(NLL)挑発をした祖父と父の理解できない行動がオーバーラップしたかもしれない。執権7年目まで海外訪問や首脳外交を一度もできない兄の顔も同じだ。