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(教えて 憲法)9条あるのに、なぜ自衛隊が生まれた?

2/14(水) 22:23配信

朝日新聞デジタル

■教えて!憲法 基本のき:6

 二度と戦争をしない――。日本国憲法の三大原理の一つ、平和主義をうたった前文の理念を実際にかたちにしたのが9条だ。1項で「戦争の放棄」を、2項で軍隊を持たない「戦力の不保持」と交戦権をみとめない「交戦権の否認」をさだめる。

 こうした条文にかかわらず、日本は自衛隊を持つ。防衛費(軍事費)は年5兆円を超え、世界十指に入る「軍事大国」だ。政府は軍事用語をなるべくつかわず、歩兵を普通科、軍艦を護衛艦などと呼ぶが、潜水艦をはじめ、装備面で最新鋭のものも少なくない。

 9条があるのに、なぜ軍隊のような自衛隊が生まれたのか。

 戦争に敗れた日本は、戦勝国から武装解除をせまられ、軍をなくした。ところが、朝鮮戦争が1950年にはじまると、連合国軍総司令部(GHQ)の要求で警察予備隊をつくった。朝鮮半島に送られる駐留米軍の穴をうめるためだった。

 警察予備隊を警察をおぎなう実力組織と位置づけつつ、強力な武器を持たせた。後に保安隊をへて、1954年に自衛隊となった。軍隊でも警察でもないながらも、国防を主な任務とする組織ができた。

 当時の政府の説明は、憲法で戦争を放棄したが、国際法でみとめられている「自国を防衛するために必要な一定の実力を使う権利=自衛権」は持っている、というものだった。戦力は「自衛のための必要最小限度の実力を超えるもの」と定義。自衛隊は、憲法で持つことが禁じられた戦力ではないとの立場をとった。

 しかし、戦力と実力の境目は「必要最小限度」をどうとらえるか次第でかわり、あいまいだ。結果的に自衛隊が活動範囲をいたずらに広げる歯止めになってきたとの見方もあるが、初めから憲法論争の中心だった。

 戦争のきずあとが生々しく残るなか、国会では、9条などの改憲をかかげる自民党政権に対し、9条の徹底と非武装中立を主張する社会党が立ちはだかった。このため、歴代の政権は改憲に必要な議席数を得られず、自衛隊の活動範囲を広げるたびに、「自衛隊=合憲」の理屈を考えた。

 たとえば、1990年代には、国連の平和維持活動(PKO)に参加するため、海外での武力行使に歯止めをかける「参加5原則」をつくった。2000年代には、イラク戦争後の復興支援にたずさわるため、戦闘が起きる可能性のない「非戦闘地域」という理屈を持ちだした。

 直近では、14年に安倍政権が集団的自衛権を一部とはいえ行使できる、と9条解釈を変えた。集団的自衛権は、同盟国が攻撃された場合に、共同して防衛に当たる権利のことで、歴代政権が9条のもとでは行使できないと解釈してきた。

 安倍晋三首相は昨年5月には、自衛隊の存在を9条に明記するよう提案。現在の憲法論議につながっている。(二階堂勇)


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 〈自衛隊〉 1950年の警察予備隊、52年の保安隊を経て54年7月に発足した。省庁の一つである防衛省に、陸海空の3自衛隊と、運用を統括する統合幕僚監部が置かれている。自衛隊法の規定で、首相が「内閣を代表して最高の指揮監督権」を持つ。内閣の一員である防衛相が常時、自衛隊を統括する。

 防衛省の文官は「背広組」、自衛官は「制服組」と呼ばれる。主な任務は「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、我が国を防衛すること」。殺傷能力を持つ武器を合法的に使用できる国内最大の実力組織だ。

 防衛省によると、2017年3月末時点で、背広組が約2万人、制服組が約22万4千人。国家公務員全体の約4割をしめる。


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 〈防衛費(軍事費)〉 2018年度予算案では6年連続で増額し、5兆1911億円。16年度予算で初の5兆円を突破し、4年連続で過去最高を更新した。

 スウェーデンのシンクタンク「ストックホルム国際平和研究所」(SIPRI)がまとめた16年の世界の軍事費動向(米ドル換算。推定値を含む)によると、日本は上位8位で、ドイツ(9位)、韓国(10位)を上回っている。

 防衛費をめぐっては、1976年に三木武夫内閣が、国民総生産(GNP)の1%以内におさえる方針を閣議決定したが、中曽根康弘内閣が87年度予算で「1%枠」を突破。その後は国内総生産(GDP)比1%弱で推移してきた。民主党政権の2010年度予算では1%を超えた。

 安倍晋三首相は国会答弁で、「GDP1%枠というものがあるわけではなく、防衛関係費をGDPと機械的に結び付けることは適切ではない」などと述べ、枠組みにとらわれない考えをしめしている。


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 〈国連平和維持活動〉 国連決議に基づく、国際的な平和や安全を維持するための活動。略称はPKO(Peacekeeping Operations)。日本では1992年にPKO協力法が成立。カンボジアへの自衛隊派遣を皮切りにはじまった。派遣にあたっては「参加5原則」を設け、内容は、(1)紛争当事者間の停戦合意(2)紛争当事者の受け入れ同意(3)中立的立場の厳守(4)以上の原則が満たされない場合は撤収(5)武器の使用は必要最小限――とした。

 PKO活動では、主に武器の使用基準が変遷をたどった。98年の法改正で、武器使用は個人判断ではなく原則上官の命令に。2001年の法改正により、武器使用の防護対象を「自己の管理下に入った者」に拡大した。15年には、安全保障法制の一つとして法改正され、新任務「駆けつけ警護」などが可能になった。例えば、宿営地から駆けつけ警護に向かう途中、任務を妨害する勢力を排除するためにも、武器が使用できるように拡充された。

 外務省によると、17年12月末現在、国連PKOは、15ある。このうち、日本は、唯一参加する南スーダンPKOの自衛隊部隊を同年5月に完全撤収させた(司令部要員は派遣中)。PKOは、情勢により危険をともなう任務もあり、日本が今後、どのように関与するかも議論となりそうだ。

朝日新聞社