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カーリング男子のキーマン、両角友佑 “ぽっちゃり野球小僧”が貫いた「攻めのカーリング」で念願のメダルへ!

2/14(水) 11:30配信

VICTORY

長野オリンピック以来、20年ぶりとなる平昌オリンピック出場を決めた、カーリング男子日本代表。日本選手権では前人未到の5連覇、世界選手権では2016年に日本カーリング男子史上最高の4位に入るなど、SC軽井沢クラブは躍進を続けており、念願のメダルも決して夢物語ではない。スキップを務める両角友佑が、苦しい時期にも貫き続けた「攻め」のスタイル、そこに抱く想いとは――。(文=竹田聡一郎)

ぽっちゃりだった少年が憧れを抱いた名カーラー、ランディ・ファービー

「野茂英雄さんに憧れていて、ポジションはファーストだったくせにトルネード投法を真似してましたよ」

日本代表・SC軽井沢クラブのスキップ、両角友佑(もろずみ・ゆうすけ)は幼少時代をそう振り返る。野球少年で体格は少しぽっちゃりだったそうだ。

「お菓子ばっかり食べて、ゲームばっかりしていたからかもしれません。小学校の時に発売されたスーファミ(スーパーファミコン)がスタートで、プレステ(プレイステーション)、Xbox、NINTENDO64はコースケの方がやってたな。おじいちゃんおばあちゃんが甘いから買ってもらいましたね。苦労しない子たちでした」

コースケとは3歳下の弟でリードの両角公佑だ。二人は1998年の長野オリンピックをカーリング競技の会場であったスカップ軽井沢(現在は室内プール)で、共に観戦している。

「カーリング自体のことは何にも知らなかったけど、オリンピックって多くの人が見るんだなあというぼんやりとした記憶だけはあります」とは公佑の弁だ。

兄・友佑は翌年、野球部を辞めて現チームの前身であるAXE(アックス)を立ち上げる。弟も追うように小学6年生からアイスに乗り始め、卒業文集に「カーリングで五輪出場」と書いた。

「よく覚えていないですけど、カーリングを続ければ次は遠征で北海道に行ける。勝ったら世界ジュニアでカナダに飛べる。そういう、どっか遠くに行けるもの。僕にとってカーリングはそんな感じでした」(公佑)

友佑は中学に入っても高校に進んでも痩せなかったらしい。

「一時期、100kgを超えてたんじゃないかな。痩せたりを繰り返していたけれど、カーリングはずっとできていたので。ランディ・ファービーっていう選手がカナダにいたんですよ。ブライアーを6回、世界も4回くらい取っているはずです。あの人も太っていたけど強かった。カッコ良かったですね」

Randy Ferbey。アルバータ州出身のカーリング史に残る、丸っこいフォルムと口髭がトレードマークの名スキップだった。ブライアーとはカナダ選手権のことで、「五輪の金メダルより取るのが難しい」とされているカーラー最高峰の名誉のひとつだ。

ぽっちゃりの親近感もさることながら、友佑がより強く受けたのは攻めるカーリングへの薫陶だった。

「本当に衝撃的でしたね。大差で勝ってるのに、あんなにうまいのに、まだ攻める。普通、リスクを減らしていく場面でも仕掛けていく。ああいう作戦を執ってみたい。同時に、ああいうカーリングじゃないと世界では勝てないのかな、とは思いました」

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最終更新:2/14(水) 13:50
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