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“チーム家族”で同じ時間を共有する/大谷翔平選手

2/14(水) 11:20配信

ベネッセ 教育情報サイト

日本野球界に「二刀流」を認知させ、今季からロサンゼルス・エンジェルスに移籍した大谷翔平。米大リーグでも、野球の神様「ベーブ・ルースの再来」と早くも大きな注目を浴びている。日米の歴史的な野球観を覆すほどの傑物は、いかにして育てられたのか。岩手県水沢市にある実家を訪ねると、いかにもスポーツマンらしいすらりとした夫妻がにこやかに迎え入れてくれた。

高校時代までバトミントンに親しみ、神奈川県の代表にもなったことがある母の加代子さんが、首を傾げながら言う。
「特別な子育てなんて何もしていないんですよ。かわいい、かわいいと抱きすくめながら育てただけ。ただ、3人きょうだいの末っ子なので、子育ての経験をある程度得て、時間と心に余裕がもてたのが良かったのかも。そして岩手という環境にも育てられました」
 翔平には7歳上の兄、2歳上の姉がいるが、二人は父・徹さんの以前の勤務先である横浜市で生まれた。だが両親は子育ての環境を考え、新たに工場が稼働する岩手への異動を希望。加代子さんが言う。
「私の実家がある横浜にいれば何かと楽だったのですが、子供たちを伸び伸び育てるには、狭い家で暮らすより、自然に囲まれた広い環境の方がいいと思ったんです。親子さんの都合より、子育てを優先しました」
 親の都合より子育てを優先するという考えは、思っていてもなかなか決断・実践できるものではない。だが二人は、この考えを全うし続けてきた。

自然に恵まれた地域で、翔平は伸び伸び育った。身体を動かすことが大好きで、幼児の頃から水泳やバドミントン、野球など何でもこなした。遊び相手は主に兄。幼い頃の7歳上は、子供と大人ほどに運動機能は違うが、翔平はその差を埋めようと懸命に身体を動かす。それが運動神経の基礎を築くことになった。
 翔平は兄やその友達とやる野球が楽しく、小学2年生の時に「水沢リトル」に入りたいと父にせがむ。リトルリーグに入れるのは3年生からだが、熱意に根負けした父がチームに頼み込んだ。
「小学2年で硬式は体に負担がかかると思いましたが、その代わり僕も覚悟を決めました。リトルリーグのコーチを志願し、仕事を多少犠牲にしてでも、翔平の野球に全力で関わろうと思ったんです」
 高校で甲子園を目指し社会人野球も経験した父が、翔平の才能に気付くのに時間はかからなかった。
「他の子が何時間でもかかることを翔平はすぐにできた。将来のことを考え、右打ちから左にスイッチさせたところ、1年もしないでマスター。僕も高校時代、右から左に変えたけど3年かかりましたから」

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