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発売40周年を迎えた宝焼酎「純」 その歴史と魅力を語る

2/14(水) 19:41配信

食品産業新聞社ニュースWEB

〈アメリカでウオッカ消費がバーボンを超越 日本にも“波が来る”と確信し焼酎製造へ〉

1977年に発売し、昨年で発売40周年を迎えた宝焼酎「純」。同商品の発売は1974年にアメリカで起こったバーボンとウオッカの消費量逆転現象「ホワイトレボリューション」がひとつのきっかけとなった。

宝酒造は「必ず日本にもその波が来る。そうした時にブームを担うお酒は間違いなく焼酎だ」と確信し、消費が低迷していた焼酎の復権を賭け、研究に研究を重ねて発売した同商品。商品開発の歴史や魅力を、同社の大谷文久・商品部蒸留酒グループ長に伺った。

〈焼酎製造のルーツは1864年頃 「純」は発売初年度で70万箱の大ヒット〉

「純」の前にまずは宝酒造の焼酎の歴史をひも解くと、1842(天保13)年に酒造業を開始していた宝酒造の前身である四方合名会社が、1864(元治元)年頃に焼酎の製造を開始したことに始まる。その後1912年に愛媛県宇和島の日本酒精(株)が芋を原料とするアルコールと粕取り焼酎をブレンドして開発した新式焼酎「日の本焼酎」の関東における販売権を取得し、「寶」の商標で発売した。関東における販売は注文が殺到し、供給が追い付かないほどの売れ行きとなった。当時の四方合名社長・四方卯三郎は自社生産を実現すべく「日の本焼酎」の開発者である大宮庫吉を招聘し、1916年に自社製造の新式焼酎販売を開始した。「寶」マークを中央に堂々と配したラベルは現在も大きな変更はなく、自社で製造を始めて今年で102年の超ロングセラー商品だ。

四方合名が製造・販売を行った「寶焼酎」は、味が良かったことはもちろんだが、壜詰でも発売しており、量り売りがメインだった時代に新鮮さも相まって消費者からは好評だった。

太平洋戦争終了後しばらくは焼酎が「庶民の酒」として需要の拡大が続いたものの、物資の不足などで粗悪品が多く出回ることとなってしまったことに加え、高度成長期の洋酒人気に押されて焼酎の消費量が落ちていたが、転機となるのは1974年にアメリカで起こったホワイトレボリューション。当時の宝酒造の社長・大宮隆は日本にも必ずその波が来ると予測し、日本でその役割を担うのは間違いなく焼酎だと考えた。

大宮社長指揮の下、新しい焼酎の開発に取り組み、試行錯誤の末、宝焼酎「純」が完成した。

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