ここから本文です

モラタがレアル時代を暴露、「マドリーは僕の故郷だ」

2/15(木) 7:30配信

SPORT.es

モラタはレアル・マドリード離脱の原因として、現監督ジネディーヌ・ジダンの采配を挙げた。重要な大会でジダンは常にモラタの存在を無視し続けた。また元マドリー監督ジョゼ・モウリーニョのアグレッシブなやり方にも疑問を投げかけた。

【ハル・シティのMFライアン・メイソン、26歳という若さで早すぎる引退】

「モウリーニョはカンテラ出身の選手たちを手厚くケアする方針だった。彼には感謝している、なぜならマドリーとの最初の大きな契約は彼のお陰だったからだ。」

「17歳の僕は、楽しむためにサッカーをするのか、マドリーの選手になって家族を養うのか、どちらを選ぶか分かり兼ねていた。彼は僕にプロになることに集中しろと言ってくれ、僕にトップチームの一員になるチャンスをくれたんだ。」

「僕はナチョと一緒にラテラルの背後でプレーしていたが、モウリーニョは僕らにライバル選手を激しく攻撃するようにと指示したんだ。アトレティコ戦で僕はジエゴ・コスタと衝突し、彼にきついキックを食らわせてしまった。コスタと出会うたびに、当時の事を思いだして苦笑し合うんだ。」

モウリーニョのトップチームでは安定した出場機会を得ることが出来なかったモラタ。
「なぜならマドリーではイスコやクリスティアーノ、ベンゼマ、ヘセ、ベイルと競っていたから、、、僕は第6番目のFWだった」と当時を振り返る。

「ヴォルフスブルクへ移籍しようとしたが、ユベントスがオファーを持ってきた、僕は“マドリーで何も偉業を成していない”と言ったが、ユーベは僕のような地位を確立していない選手に対し2,200万ユーロ(約29億円)を提示した。僕は“世界最高の選手たちの多くがユーベを経験した”という考えを胸にオファーを受けた。」

「ユーベに移籍することで、人々に“お前は気が狂ったのか、ヘタフェやビジャレアルのオファーをなぜ蹴ったんだ”と言われたが、トリノで僕はとても幸せだった。そして欧州CL決勝に出場した。」

しかしユベントスでの日々は幸せばかりでは無かった。
「2シーズン目にはマドリーの買い戻しオプションが発生した。それが僕に悪影響を与えたんだ。買い戻しオプションの事は知らなかった。それで、ユーベは僕を手放し、その他の選手にチャンスを与えることを決定した。」

「しかし、いずれにせよマドリーは僕の故郷だ。そしてジダンの下でリーガと欧州CL優勝を経験した。多くの試合でプレーして幸せだった。しかし、スタメンになるには、マドリーはまるで別の惑星のように事情が異なった。欧州CL予選は一度も出場できず、バルサ戦や、アトレティコ戦、セビージャ戦やバレンシア戦ですらも出番が無かった。」

翌シーズンも同じ状況が続くと予見される中で、モラタは厳しい現実を肌で感じていた。「チェルシーへ移籍する決意をしたのはそのためだ、世界にはレアル・マドリードしかないわけでは無い。」

(文:SPORT)

SPORT.es

最終更新:2/15(木) 7:30
SPORT.es

スポーツナビ サッカー情報