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なぜ日本人選手は謝るのか? 社会学者の論考『選手はもはや「個人」ではない』にみる責任と呪縛

2/15(木) 19:40配信

VICTORY

熱戦が繰り広げられている平昌オリンピック。メダルの期待がかかる日本人選手が続々と登場してくるなか、気に掛かるのは、その期待通りの結果を出せなかったときだ。これまでオリンピックなどのビッグイベントではしばしば、日本人選手がテレビの向こうにいるファンに向けて、涙ながらに謝る姿を目にしてきた。なぜ日本人選手は“謝る”のだろうか? スポーツの勝敗は誰のものなのだろうか? 平昌オリンピックが開催中で、東京オリンピックを2年後に控えている今だからこそ、あらためて考えてみたい。(文=谷口輝世子)

期待通りの結果を残せなかったとき、ファンに対して謝るべきなのか?

日本の選手はお詫びの言葉をよく口にするような気がする。期待通りの結果を出せなかったとき、チームの足を引っ張るようなプレーをしてしまったときに「申し訳ない」と言う。

私がそんなことを感じたのは、2016年リオデジャネイロのオリンピック・パラリンピックの頃だった。米NBC局が映し出す米国選手は、負けたときでもあまり謝らず、サポートしてくれた周囲、応援してくれたファンに感謝の言葉を述べていた。それと比較すると、日本の選手はよく謝っていた。これは文化の違いから来るものだから、どちらが良くて、どちらが悪い、という種類のものではない。何かをしてはいけない理由を教えるとき、キリスト教文化圏では「神の命令だから」、日本文化圏では「他人に迷惑を掛けるから」とされることが多いことも影響しているだろう。

それでも、日本の選手が、記者会見で「申し訳ない」と絞り出すのを聞くと、私は心苦しい気持ちになる。スタッフやチームメイトら身近な人に謝りたいと思うのは、当たり前のことかもしれないが、テレビ画面の向こうにいる人たちにも謝らなければならないのか。不祥事の会見でもないのに。

結果を出せなかった選手がお詫びするのには、それぞれの事情があるだろうが、ここでは、私なりの考えを綴ってみたい。

報酬系を活性化させるマスメディアの報道

選手たちは、期待に応えられなかったことを申し訳なく感じているようだ。各競技団体、指導者ら、選手を直接的にサポートしている人からの期待がある。オリンピック・パラリンピック級の大きなスポーツイベントになれば、世間からの期待も膨らむ。

世間からの期待に少なからぬ影響を及ぼしているのが、マスメディアだ。マスメディアは選手への期待を煽りがちだ。

人の脳には報酬系というドーパミン神経系がある。報酬系は「心地よい」という感覚を生むための装置だ。例えば、喉が渇いている人が水を飲むと、報酬系は活性化する。実際に水を飲んだときだけでなく、もうすぐ水を飲むことができると想像するだけでも活性化するそうだ。人間は報酬系がゴーザインを出した行動を選ぶようになっているという。

これをスポーツ報道に当てはめてみる。これから始まる大会で、日本の選手はメダルを獲得できるかもしれない、と期待を込めた文脈で報じる。視聴者、読者は、応援する選手の活躍を想像するだけで、報酬系が活性化されるのではないか。胸躍る瞬間を逃したくないと思い、中継や記事を求めるのではないだろうか。マスメディアは、できるだけ多くの人に試合中継を視聴してもらう、記事を読んでもらうことでビジネスが成り立っている。だから、無意識的であれ、意識的であれ、期待させるような報道になっている。

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最終更新:2/16(金) 12:56
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