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道路だけの町「桑原町」のナゾ 京都のど真ん中 いったい何があった?

3/6(火) 16:10配信

乗りものニュース

「町」の範囲は長さ数十mの道路、建物もなし

 過疎が進み住民のいなくなった町や村は珍しくない昨今ですが、京都市中京区という市街地のど真ん中にも、住民がひとりもいない「町」があります。それどころか、その「町」には建物もなく、道路しかありません。ゼンリン住宅地図で確認したところ、その区域は京都御所と京都地方裁判所に挟まれた数十mの長さの車道(丸太町通)と歩道の一部で、町の名前は「桑原町」とのこと。
  
 どういうことでしょうか。京都市歴史資料館に聞きました。

【地図】「桑原町」の周りには何が?

――桑原町の範囲にはなぜ、道路しかないのでしょうか?

 桑原町がどうしてそのようになったかを明らかにするのは難しいのですが、京都に道路しかない「町」が出現する理由は京都の歴史から説明がつきます。

――「道路しかない町」が出現する理由とは何でしょうか?

 平安京の時代、京都の道幅は現在よりずっと広かったのです。たとえば、京都御所の近くを南北に走る「千本通」は、平安の頃には道幅が85mもあったそうです(編集部注:現在の千本通は幅約25m)。当時の京都にはクルマがたくさん走るようなニーズがありませんので、やがてそれらの道にも家や田畑などが広がり、道幅が狭くなっていきました。
 
 ところが、道幅が狭くなりすぎると事故も起きやすくなり危険です。特に、明治以降はモータリゼーションが進み、道幅を広げる動きが強まっていきました。最も大きなインパクトが太平洋戦争期に行われた「建物疎開」で、空襲による火災の延焼を防ぐために建物の取り壊しや道路の拡幅が急速に進み、かつて町並みがあった場所にも道路が通されていきました。

「桑原町」はずっと昔からその場所にあった?

――「桑原町」は昔から存在していたということでしょうか?

 京都の「町」の名前と位置は近代以前からほぼ変わりません。「桑原町」の場合も、かつてそういう名前の町がそこにあったが、同じような歴史的経緯をたどった末に全域が道路になり、町の名前だけがその場所に残った可能性が考えられます。

※ ※ ※

 ちなみに、災いを避けるまじない「くわばらくわばら」の語源が、この「桑原町」ではないかという説があります。それによるとその昔、菅原道真の怨霊が雷を落として京都を脅かした際、かつて道真の領地だった桑原の地には雷が落ちなかったことに始まるとか。

 このことについても京都市歴史資料館に聞きましたが、「地名辞典で確認したところ、桑原というのは『館の名前である』と記載されています。おそらく住んでいた人の苗字ではないかと推察できます」とのことでした。

乗りものニュース編集部