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韓国「メガネ先輩」の背景にある、知られざる「地域密着」ストーリー

3/9(金) 18:30配信

VICTORY

カーリング女子日本代表と平昌五輪準決勝で対戦し、その実力と美ぼうで話題をさらった「メガネ先輩」キム・ウンジョンを覚えているだろうか。藤澤五月の柔和さとは対照的な、相手を射抜く鋭い眼光。その冷徹な印象そのままに繰り出される、精度の高いショット。しかし素顔は、韓国で”一番の田舎町”から出たアスリートだった。多くの注目を集めながら、日本語での情報は数えるほど。そこで今回、韓国語を自在に操り、同国のスポーツ事情に精通する吉崎エイジーニョ氏に執筆を依頼した。日本ではほとんど知られていない、「メガネ先輩」の背景に迫る。(文:吉崎エイジーニョ)

「メガネ先輩」と競技の出会い

 “体験学習”
 
 これが、のちに「メガネ先輩」と呼ばれるキム・ウンジョンにとってのカーリングとの出会いだった。2006年、地元の義城女子高1年のときだ。

 この年の5月、町の中に国内初のカーリング専用競技場が生まれた。すると、町の学生たちは皆体育の時間に「体験学習」に駆り出された。ここで、ストーンを滑らせ、狙う場所に置くこの団体競技に興味が生まれた。

 もう一つ、カーリングを始めた大きな理由があった。
 
 放課後にやることがなかった。

 なにせ人口5万6000人の山間の田舎町でのことだ。両親はいずれも農業関連の仕事に従事しており、自身も五輪前までは平日はカーリング、週末は農作業を手伝う、という生活を送ってきた。

 本格的にカーリングをやってみたい。そう体育の先生に伝えた。すると、先生は「もう一人必要だ」という。「メガネ先輩」は友達も誘ってみることにした。ケータイのメッセージで仲間が必要な状況を説明した。

「そうなのね」

 それが後にチームメイトになり、ともに五輪で銀メダルを獲得。試合中の「ヨンミ~」の掛け声が大ブームとなるキム・ヨンミだった。じつは自分自身の母親と同姓同名でもある。
 
 それでもチームを組んで競技を始めるには、二人では人が足りなかった。
 
 ヨンミが誘ったのは実の妹ギョンエだった。まだ義城女子中の中学生だった。姉のヨンミはギョンエに対し、「あんたも必要」という短い言葉で勧誘した。言葉数が少ないのは、一般的に慶尚道地方の風土とされる。
 
 さらに中学生のギョンミは、先輩とだけやるのは不安だったか、学校の黒板にこう書いた。
 
 “カーリングする人 募集”
 
 誘いに乗ってきたのが、キム・ソニョンだった。そこに2015年、京畿道で期待の高校生として注目されていたキム・チョヒが加わって誕生したのが「チーム・キム」。つまり、平昌五輪代表チームだった。

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最終更新:3/9(金) 23:56
VICTORY

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