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「厳しい試合こそ、ニコニコ挑む」 -親友がパラリンピックに出るそうで-

3/10(土) 21:45配信

カンパラプレス

 双眼鏡越しに見たその男は、いつも通りだった。何かを企んでいるかのように舌をペロリと出し、両手を何度も突き上げ、平昌五輪スタジアム中の視線を集めようとしているかに見えた。2018年3月9日、平昌パラリンピック開幕式。49カ国中33番目に登場した日本選手団の中で、上原大祐(36)は一際目立っていた。

迫力のパラリンピックスポーツ写真

 上原大祐(以下:大ちゃん)とは4年前に、いわゆるビジネス会食の場で出会った。「元パラリンピック選手で面白い人がいるから紹介したい」と上司から誘われ参加したその場で、大ちゃんはワインを水のように次々飲み干し、「ガッハッハ!」と耳をつんざくような大音量で笑い、「これ、かけていいですよ!」とパラアイスホッケー選手として獲得した銀メダルを頼んでもいないのに首にかけてくれる。豪快で明るくて、ルート66のように「どこまでも真っ直ぐな人」だなという印象を持った。

 その後大ちゃんとの親交は続き、会うほどにこのエネルギーの塊のような男に惹かれていった。大ちゃんはNECの社員としてパラスポーツ推進を通じた社会形成を行いながら、自らが代表を務めるNPO法人D-SHiPS32では障害のある子供たち向けのスポーツイベントを主催するなど、多岐にわたる活動をしている。「そんなに活動してよく体調崩さないね」と尋ねたところ、「意外と崩してる・・」と返ってきたので彼もスーパーマンじゃないのだと妙に安心したのを覚えている。
 
 大ちゃんは1981年12月に長野県で生まれた。生まれつき二分脊椎という障害があって歩けなかったが、お母さんの鈴子さん曰く「超がつくほど活発」で毎日泥だらけになって学校から帰ってきたそうだ。鈴子さんの子育てのモットーは「やめなさい、よりやりなさい」。自転車だろうがアイススケートだろうが、大ちゃんがやりたいと思ったことは何でもやらせた。そんな大ちゃんがパラホッケーと出会ったのは大学生の頃。ある車椅子メーカーの社長から誘われ、長野サンダーバーズというチームに入るとメキメキと頭角を表し、そのままの勢いで2006年トリノパラリンピックに出場。2010年バンクーバーパラリンピックでは準決勝のカナダ戦で値千金の決勝ゴールを決め、銀メダル獲得の立役者となった。その後惜しまれながらも引退し、私が出会った頃はアスリートではなくソーシャルイノベーターとしての上原大祐に変身していた。

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最終更新:3/11(日) 0:05
カンパラプレス