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戦争のきっかけは子どもの落書きだった 死者50万人超のシリア内戦8年目に

3/10(土) 11:03配信

BuzzFeed Japan

落書きが戦争に

中東のシリアで続く激しい内戦。人口2000万人余の国で、これまでに50万人以上が命を落とし、500万人以上が国を逃れて難民となり、さらに600万人以上が国内避難民となった。世界を揺るがす戦争のきっかけとなったのは、子どもの落書きだった。【BuzzFeed News / 貫洞欣寛】

【写真】戦場で眠る日々。シリアの日常

「アラブの春」興奮の余波

2011年2月、中東と世界全体は異様な雰囲気に包まれていた。

この年の1月、チュニジアで大規模な反政権デモが起きて、23年に渡り独裁を続けたベンアリ大統領が亡命した。それは中東で最大の人口を誇る地域大国エジプトに飛び火。大規模なデモが続き、2月11日に30年にわたる独裁を続けたムバラク大統領も辞任したのだ。
長期独裁にあえぐ国が多い中東で、「アラブの春」と呼ばれる民主化運動に火がついた。アルジャジーラなどの衛星ニュース局が各地のデモや「革命」を競って報じ、様々な国で繰り返された「体制打倒」などの言葉が流行語となった。

独裁政権が相次いで倒れるなか、多くの人々の目はシリアに向けられていた。シリアもバシャール・アサド大統領と、父親で先代の故・ハーフェズ・アサド大統領親子による支配が約40年に渡り続く独裁国家だったからだ。
こんな状況のなか、シリア南部のヨルダンとの国境に近いダラアという街で2月16日、14歳前後の少年たちが、赤いスプレー缶で学校の壁に落書きしたのだ。「次はあんたの番だ、ドクター」と。

「次はあんたの番だ、ドクター」

「ドクター」とは、父ハーフェズに後継者として指名されるまでロンドンで眼科医として修業を積んでいた現大統領バシャール・アサドのことと読める。

子どもたちには、「アサド政権打倒」を本気に訴えようというほどの政治的な動機はなかったようだ。スプレー缶を手に落書きしたナイフ・アバジードは「まだ子どもだったから、自分が何をしているか理解していなかった。あとで逮捕されて、初めて深刻さを知った」とカナダの新聞に語った。

一緒にいたムアーウイヤ・シヤスネは英紙テレグラフに「ジョークのようなものだった。シリアで反政府運動が起きるなんて想像もしていなかった」。一方で「抑圧と拷問にうんざりして、怒りでいっぱいだった」と語った。

いずれにせよ、多くの国では「子どものいたずら」で済まされる話だろう。

しかし、アサド政権が国中に監視網を張り巡らせて国民の言動を監視していたシリアでは、そうはいかなかった。

シリアは1946年にフランスから独立した。この地域は古代から続く豊かな文化を誇るが、国家としての歴史は日本の戦後よりも短い。今の国境線が生まれたのは第1次大戦後にオスマン帝国を欧州列強が解体した結果であり、一種の「人工国家」といえる。

アラブ人だけなくクルド人やアルメニア人なども暮らす多民族国家であり、宗教も国民の7割を占めるイスラム教スンニ派のほか、アサド一族が属する人口の1割程度の少数派であるアラウィ派、ドルーズ派などがある。キリスト教もシリア正教会、マロン派教会など多岐にわたる。さらに部族が存在する。

国民に「シリア人」という一体感は薄く、独立後は政変も繰り返された。1970年にクーデターで実権を握った空軍出身のハーフェズ・アサドが統治のため採ったのが、軍と治安機関を中心とする中央集権独裁だった。

政権に刃向かうものへの処断は容赦なかった。
世俗主義と社会主義を掲げていたシリアで、イスラムに基づく統治を求めるイスラム教スンニ派の政治組織ムスリム同胞団が1982年、ハマという都市で蜂起した際は、軍が市街地を包囲し、そこに暮らす市民もろとも攻撃。数千とも数万ともいわれる死者を出して武力で鎮圧した。正確な死者数は今も明らかではない。

それから約30年後、ダラアでの落書きに対してバシャールの政権は父親時代と変わらない苛烈さを見せた。少年らを相次いで連行し、投獄したのだ。

少年への拷問に市民の怒り
家族は治安当局の幹部に子どもたちの釈放を求めた。だが当局側は「あんな子どものことは忘れろ。子どもがほしければ新たに作れ。子作りのやり方を知らないなら、おれたちが教えてやる」と取り合わなかったという。

連行から1ヶ月近く経った3月18日、イスラム教では礼拝日のため休日となる金曜日だった。ダラアでこの日、少年らの釈放を求め、治安当局の横暴を糾弾するデモが始まった。釈放だけでなく「自由」「民主主義」などを訴える人も相次いだ。いずれも当時、エジプトやチュニジアなど各地で叫ばれていたスローガンだった。シリアでも反政権デモが本格化したのだ。
これに対する政権側の回答は、治安部隊の投入、そして発砲だった。

翌日もデモは繰り返された。
政権側も一時は妥協姿勢を見せ、少年らを釈放した。ダラアに代表団も送った。

だが、釈放は新たな怒りを呼んだ。
少年らは激しい拷問で傷だらけだった。

獄中で電線でむちうたれ、電気ショックに掛けられ、さらに天井から吊された。落書きの現場で一緒にいた子の名をあげるよう要求され、最終的にその場に実際にはいなかった子を含む23人が逮捕され、拷問された。

この映像がネットで出回り、ダラア、そしてシリア内外でアサド政権への強い反発を巻き起こした。少年たちは地元で「英雄」として迎えられた。首都ダマスカスなど複数の都市で、ダラアに対する連帯の表明や政治改革の要求などを掲げたデモが相次ぐようになった。

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最終更新:3/10(土) 13:45
BuzzFeed Japan