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あの日から、笑ったことは一度もない。 震災PTSDのいま

3/11(日) 11:10配信

BuzzFeed Japan

原発事故から逃げようとした

津波でひとつ、深い心の傷を負った男性は、さらに追い討ちをかけられることになる。原発事故だ。

知人から、「逃げた方がいい」という噂を聞き、幼い娘や親戚を連れて、車をひたすらに走らせた。

しかし、道中では何度も宿泊を断られた。「福島から来たのなら、放射能が心配だ」。そんな差別をされていると感じ、傷ついたという。

明け方にようやく泊まることができたホテルも、たった4時間ほどの滞在で、8万円近くの宿泊費を取られた。背中を銃で撃ち抜かれたような感覚を覚えた。

「それから、人が信じられなくなってしまったんですよ」

その後、福島市内の親戚のアパートに暮らすことになった。1ヶ月にわたって、ワンルームの部屋に7人で暮らした。見えない恐怖に苛まれる、「悲惨な暮らし」だった。

男性は震災前から、妻とともに、スナックと人材派遣会社を経営していた。復興特需で事業は「毎日数十万円」という稼ぎも出たが、気持ちは滅入るいっぽうだった。

人に会いたくない。そんな気持ちが強くなり、家族との関係は悪化。離婚し、仕事もすべてたたんでしまった。自殺も試みた。でも、死ねなかった。

何もやる気が起きない。夜になると、津波や遺体捜索のこと、亡くなった友人たちの顔が頭に浮かんで、寝られないーー。

病院に通うようになり、薬を飲む事で少しは改善されたが、人付き合いがうまくできないままだ。最近では毎日、アパートにこもって、「何もせずにぼーっと」している日々が続いている。男性は言う。

「あの日を境に、何もかも変わってしまった。もう、生に対しての執着はないんですよ」

逃げることはできなかった

支援者側として、心に傷を負っている人もいる。

相馬市に暮らす女性(53)も、やはり震災後にPTSDとの診断を受けた。この女性の場合は、津波に巻き込まれた経験はなく、家も家族も無事だった。

「みんな、捨てられていったんです」

老人保健施設で介護士として働いていた女性は、震災直後から、家に帰ることもなくひたすら働き続けていた。

普段の業務に加え、併設する病院には遺体やけが人が次々と運び込まれていたからだ。とても人手は足りず、ずっと、泊りがけだった。

「テレビを見る余裕もなく、原発が爆発をしたことは知りませんでした。ある日、消防の人たちが窓を全部閉めて換気扇も止めるようにと伝えにきたのですが、防護服を着ていて。私たちは普通の格好をしているわけですよね。何がなんだかわからなくって……」

1号機が爆発した日のことだ。

この日を境に、スタッフたちが減っていった。もともとは40人いたはずが、いつの間にか10人に。多くは何も言わずに、消えていった。信頼していた仲間に裏切られた、という気持ちが膨らんでいった。

「私は責任感が強いタイプで、逃げられなかった。でも、同僚には『死のうが何しようが、俺は逃げる』と言っていたんですよね。人って、信じられないな、とショックを受けました」

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最終更新:3/11(日) 21:22
BuzzFeed Japan

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