ここから本文です

引き裂かれた心を越えて 飯岡出身の詩人 高橋順子さん 【3・11大震災 ちば7年】

3/11(日) 11:42配信

千葉日報オンライン

 一体感さえ抱いていた大好きな海があの日、故郷を襲った。裂かれた心の行き場を求めるように言葉を紡いだ。きょう11日に発生7年を迎える東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた旭市飯岡地区。その飯岡出身の詩人・高橋順子さん(73)の詩に古里の人々は共鳴して前に進み、高橋さんも呼応した。自問への答えとしてたどり着いた1行は「海という窓は閉められぬ」。教訓を語り継いで未来につなぐ決意をした住民の姿と重なり、力を持った。

 高橋さんが育った実家の3軒先は海岸通り。弓なりの太平洋が眼前に広がる。「海辺に住んでいながら海に憧れている」。そんな少女だった。弟や親戚の子たちとの遊び場は砂浜。海を向くように泥で舟をこしらえ、乗り込む。「波がバァと来ると舟が進んで行くみたい。気持ちよくてね」

 海辺の中学校も楽しかった。「ハマグリ採りの時季なんか、体育の時間は『先生お願い、海にしよう』って」。海と自分が同化しているイメージ。「海が凪(な)いでいると自分の心も凪いで穏やかに、海が荒れていると私の心にも波がたって騒ぐ。我は海の子っていう歌の通りですよ」

 大学進学を機に東京に出てからも古里の海への愛着を持ち続けた。33歳で出したデビュー詩集の題も「海まで」。しかし、2011年の3月11日に一変した。

 実家の両親と弟一家は避難するなどして無事だったが、家の中にも波が押し寄せた。旭での死者・行方不明者は16人。あの中学校の同級生も犠牲になった。動揺の中で帰省し、目の当たりにした爪痕。実家にぶら下がったポスターには「私の好きな海のうた」という自分の講演会タイトルが躍っていた。「愚かな女よ」と海に言われたような気がした。

 「海が好きだという気持ちと、海が恐ろしいっていう気持ちとに引き裂かれてしまった」。どうすればいいのか。「それが私に詩を書かせた動機だと思う」

ぎざぎざ ぎざぎざ 波 ぐじゃぐじゃ ぐじゃぐじゃ 海 一カ月後 余震がつづく中を 古里の海を見に行った 海は顔を隠してまるまっているだろうと思っていたが まっすぐこちらを見ていた アオミドリのうらめしげな目をしていた あれからずっとこんな目をしていたのか こんな海 知らなかったよ
「津波はまっすぐ来た」より

 自問自答の中で3年に及んだ言葉をつづる日々。「3・11 あれから」という詩で一つの帰結を迎える。

明日にはわたしは窓を閉めるだろう だが海という窓は 海という窓は閉められぬ わたしがここから閉めだされたとき はじめて 海という窓が閉まる

 「やっぱり古里の海のほうに向かうんだ。付き合っていかなきゃ。目をつむっちゃいけない」。そんなふうに思えるようになった。

 一連の作品を収録し、14年7月に出版された詩集「海へ」は、悲しみや苦しみから手探りで再生に歩み出そうとしていた故郷の住民を勇気づけた。「飯岡に文芸賞をつくりたい」。熱心に構想を相談され、審査委員長を引き受けた。

 防災の強化で海辺の中学校は移転した。今も実家で暮らす母親は96歳。高齢化が進む中で町活性化への模索には困難も伴うが、これからも、ここで生きていく人々がいる。「海という窓は閉められぬ」。その言葉は、海と向き合い、営みを続ける住民たちの胸の内と同じだ。

◇高橋 順子(たかはし・じゅんこ) 1944年飯岡町(現旭市)生まれ。町立飯岡小学校、飯岡中学校、県立匝瑳高校、東大文学部仏文学科卒。詩集「時の雨」(96年)で読売文学賞。「海へ」は藤村記念歴程賞、三好達治賞。直木賞作家の車谷長吉さん(2015年死去)との結婚生活をつづった「夫・車谷長吉」(17年)はベストセラーに。都内在住。千葉市内で連句教室の講師も務める。