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福島から有田へ、芝原さん「経験、語り継ぎたい」 東日本大震災から7年

3/11(日) 10:39配信

佐賀新聞

 西松浦郡有田町の芝原静香さん(46)は2011年3月11日、福島県南部の白河市で東日本大震災を体験した。夫の転勤に合わせて翌年、以前に暮らしていた西松浦郡有田町に家族4人で移り住み、このまま定住することを見据え有田焼の窯元で絵筆を執る。

 地震発生時、白河市は震度6強の激震に見舞われた。芝原さんは自宅で、幼稚園から帰ったばかりの次男をかばいながら、テーブルの下に潜り込んだ。窓からは、小学4年生だった長男が通っていた小学校が大きく揺れる姿が見えた。

 水素爆発を起こした福島第1原発は北東に約80キロ離れているとはいえ、風向き次第では放射性物質が飛来する恐怖を感じた。福島を一時離れ、夫の実家がある長崎県に家族で避難した。

 新学期が始まる前に白河市に戻ったが、余震が絶えない。放射線量も気に掛かる。そうして過ごしていた翌年夏、夫の有田転勤が決まった。神埼市出身で、有田窯業大学校で学んだ芝原さんにとっては結婚前後に暮らした土地。「白河には友達がたくさんいて、離れる寂しさもあったけれど、ほっとした気持ちが大きかった」と振り返る。

 日常を取り戻したように見えるが、3月11日が近づき、テレビや新聞の特集に接すると、涙が抑えられなくなる。「こんなに涙もろかっただろうか」と感じながら、自身よりも子どもたちの様子を案じる。高校生になった長男は何事もなかったように振る舞っているが、校舎が工事で揺れた日に「硬直して体が動かなかった」と漏らした。幼かった次男は、この時期になると体調不良を訴える。

 大震災後も自然災害は絶えず、九州では熊本地震が爪痕を残した。そうした中、芝原さんは「被災者でなく、経験を『語り継ぐ者』でありたい」と考えるようになった。それが「大震災を風化させないことにつながるし、新たに被災した人たちの心に寄り添うことができる」と思うからだ。

 こう考える一方で「福島を離れ、生活基盤ができたから思えることかも」ともつぶやく。震災後の混乱の中で各地に避難し、別れの言葉も交わせなかった友人たちを思い出す。「どんな思いでいるのか、再会して確かめたい」。子どもの春休みに合わせ、3月末から5年ぶりに福島を訪ねるつもりでいる。

最終更新:3/11(日) 10:39
佐賀新聞