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実直な男はなぜ、盗みを働いたのか?巨匠が放つ現代社会への警告『馬を放つ』

3/12(月) 11:11配信

dmenu映画

3月17日に公開を迎える『馬を放つ』は、中央アジアのキルギスから届いた1作。多くの話題性やトピックがあるわけではなく、あまりなじみのないキルギス映画ではありますが、“現代を生きるすべての人へのメッセージ”と言えるくらい、大切なテーマに向き合った作品です。

実直な男、ケンタウロスはなぜ“馬を放つ”のか?

舞台は広大な草原地が広がるキルギスの片田舎。そこで暮らすのは、騎馬遊牧民を祖先に持つ人々です。遊牧民にとって、馬はともに生きてきた特別な存在。“馬は人間の翼である”ということわざがあるくらい結びつきが強いのです。

しかし、それも今では過去の話。グローバリゼーションの波はこのキルギスの小さな村にも押し寄せ、今や馬は、ともに生きる存在ではなく、所有者の富や地位の象徴や金儲けの道具となってしまいました。時代とともに暮らしも変わり、昔ながらの遊牧民の風習や心の持ちようもどんどん希薄になっていました。

ただ、村に一人だけ、その時代の波に抗おうとする男がいました。周囲から“ケンタウロス”と呼ばれる彼は、昔ながらの馬と人の結びつきを今も信じ続けています。地域や人の結びつきが薄れる中、実直な彼は相手を問わず、困った人がいれば手を差し延べて力になろうとします。富や名声にも興味はなく、あるのは遊牧民としての誇りと自由な精神だけでした。

そんなケンタウロスは夜になると、村の名士の厩舎に忍び込み、高額な馬を盗み出して野に放っていました。なぜ、実直で正義感もあるケンタウロスは盗みという行為に及んでまで、馬を逃すのか? ここに本作の大きなテーマが隠されています。

あらゆる人々の心に届くであろう普遍的な物語

このケンタウロスの行動の真意は、本作の核心に触れるので明かすことはできません。ただ、彼の姿からはさまざまなメッセージを受け取ることができます。

すべてが経済優先でいいのか?

自らの国の伝統や文化が知らず知らずのうちに失われていないか?

お金ばかりに気をとられて、人としての心を失ってはいないか?

……など、ケンタウロスは様々な問いを投げかけてきます。それはおのずと、我々が自身のルーツや今ある暮らしについて深く考えさせられるきっかけになるに違いありません。

また、最後まで正義を貫き、どんなことがあっても良心を失わないケンタウロスは、その誠実さと実直さが最後は仇になって孤立してしまいます。そこには、正しいことをしてもなかなか報われない現代社会への痛烈な皮肉を感じずにはいられません。

こう書くとバリバリの社会派ドラマと勘違いされてしまうかもしれませんが、本作は説教臭く、自らの主張を声高に叫んだようなメッセージ色が強いわけではありません。牧歌的で異国情緒あふれる美しい映像にも、きっと胸を打たれることでしょう。

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最終更新:3/12(月) 11:11
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