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社説[東日本大震災7年]寄り添う支援続けたい

3/12(月) 7:20配信

沖縄タイムス

 授業中だった。校舎が大きく揺れ、校庭への避難指示が出た。経験したことのない地震。廊下にひびが入り、床がめくれた。校庭に集まっても余震は収まらない。ただならぬことが起きるのでは、と予感させることが続いた。

 名護市内の高校2年生後藤祐杏さん(17)。仙台市の高台地区に住む小学校4年生だった。父は同じ仙台市内で目の前に海が広がる会社にいた。祖父のタクシー会社を引き継ぎ、新しい事業として導入した「介護タクシー」が軌道に乗り始めていた。

 大津波の襲来を直感した父は従業員らを逃がし、自身も逃げた。父が夜になってようやく自宅に戻ってきたときは、家族みんな安堵(あんど)した。従業員も無事だった。

 翌日、家族5人で会社のあった場所に立った。会社は跡形もなく流されていた。車が折り重なるように積み上がり、周辺を土砂やがれきが覆い尽くしていた。心が震えた。

 1カ月後、父は会社再建のため宮城県に残り、後藤さんは母、妹2人とともに母の出身地名護市に。実家近くのアパートで暮らし、祖父母やいとこたちとの触れ合いが心の支えになった。震災から4年後の夏休みに仙台市に戻ると、父は会社を再建。業績は震災前に届かないが、従業員らと懸命に働く姿に感動した。

 大きな物音がすると今でも惨状が目の前に表れる。甚大な犠牲者のことを考えれば「自分は幸せな方」と気丈だ。

 自主避難は母子の形態が多いが、一般的に言って、二重生活による経済的負担などの課題を抱える。

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 東日本大震災から7年。避難者は全国で今なお約7万3千人。復興庁などによると、県内には福島県や宮城県を中心に関東地方を含め364人が26市町村で避難生活を送っている。昨年の同じ時期には31市町村に592人いた。

 数字上、減少しているのは、全国に自主避難した人たちへの国の住宅無償提供制度が昨年3月に打ち切られたことが要因とみられる。避難者としてカウントされなくなったのである。

 県も減少した人たちがどこでどのような生活を送っているのか実態を把握していない。支援の網から漏れていないかどうか懸念される。

 県は独自に避難者には家賃補助などを継続しているが、行政や民間団体、企業などで設立した「東日本大震災支援協力会議」も5月には解散する予定にしており、支援が先細りにならないか心配だ。

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 沖縄へ避難してきた人たちでつくる「じゃんがら会」(浦添市)は、地縁血縁のない土地でつながりをつくろうと月1回交流会を開いている。「死なせない」「自分の人生を歩めるようになる」ことが最重要だと、桜井野亜会長は言う。この時期は将来への言いしれぬ不安にさいなまれる。生活再建に向け、社協や県臨床心理士会などにつなぎ、県との連携を要望している。

 沖縄には人の痛みをわが事と捉えるチムグクル(肝心)の精神がある。県には自主避難を含めた避難者の実態と7年たった今、必要な支援は何か、調査してもらいたい。

最終更新:3/12(月) 7:20
沖縄タイムス