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本格移住100年 沖縄出身者21人の声一冊に、川崎区の屋良さん

3/13(火) 21:42配信

カナロコ by 神奈川新聞

 沖縄出身で川崎、横浜、東京に移り住んだ人々やその子孫らの素顔を紹介する本「沖縄・思い遥(はる)か」が自費出版された。本格的な移住から約100年の節目を機に、一般財団法人川崎沖縄県人会会員の屋良朝信さん(68)=川崎市川崎区=らが約2年がかりで取材し作成。ミュージシャン、沖縄料理店主をはじめ市井の21人にインタビューし、その思いを伝えた。

 沖縄からの移住が本格化したのは1915(大正4)年、現在の川崎区に富士瓦斯紡績(当時)の工場が操業開始したのがきっかけ。女性労働者が多く雇用され、住み始めた。家族の呼び寄せなどで男性も周辺工場に働き手としてやって来た。

 京浜工業地帯を支える労働力となった一方、「結(ゆい)」と呼ばれる相互扶助の精神で支え合い、文化や芸能を育んだ。屋良さんは、かつては横浜市鶴見区で3万人、川崎市川崎区で1万人ほどがコミュニティーをつくったとみる。

 24(大正13)年には国内で最も古い沖縄県人会「川崎沖縄県人会」が発足。「リトル沖縄」と呼ばれる食材販売や料理店などのコミュニティーがいまも鶴見区に残る。南米に移住した人々も来訪し、沖縄方言、ポルトガル語などが飛び交う魅力的な多文化共生地域となっている。

 沖縄出身者の2世に当たる屋良さんは、街で普通に暮らす人々が見たこの100年を、生の声として記録に残すため、本づくりを思い立った。電子部品輸出メーカーを退職した2015年11月から本格的な取材を始め、17年11月に伝統芸能などの多くの写真を掲載した本を完成させた。

 屋良さんは「川崎区と鶴見区には“沖縄”がある。ウチナーンチュ(沖縄人)ゆえに差別を受け、経済的困難を極めた時代もあったが、いまはハワイと並ぶ観光地としてイメージを一新した。そうした変遷の中で沖縄出身者が活躍していると勇気づけたかった」と話している。

 同書はA4判128ページ、2300円(税抜き)。問い合わせは、川崎沖縄県人会電話044(233)8584。