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あの名監督、助っ人…球界名セリフ回顧

3/14(水) 16:46配信

東スポWeb

【ネット裏 越智正典】1961年、山口県防府高の投手、高橋明が巨人に入団すると巨人ファンは喜んだ。それまで巨人の補強は投げても角度がつかない、背がそんなに高くない投手が多かった。高橋明は179センチ、74キロ。すらっとしていて、ストレートを投げ込めばきっと角度がつくと、期待の右腕新人であった。60年のことだが、神奈川大学リーグの関東学院の投手青木宥明が入団して来たとき、ファンはびっくりした。

「キャッチャーを獲ったのか」。青木は“秘密兵器”といわれるほどの活躍をするのだが、体形がキャッチャーに見えたのである。

 高橋明は野球のお兄ちゃんたちが大好きで、小学生のときから毎日防府高に球ひろいに来ていた。51年秋、東京六大学、立教大闘志の首位打者、打率3割9分2厘、篠原一豊、本田技研や56年に早大に進み名マネジャーとなる内山雅博…らに可愛がられた。

 62年、巨人監督川上哲治は平和台球場でのオープン戦に高橋明を先発に起用した。が、1回裏、西鉄の猛打で8点を奪われた。高橋明はベンチのスミで泣きながらアンダーシャツを着替えた。当然交代。きっとすぐに二軍行きだろう。2回裏、西鉄の攻撃が始まろうとしている。川上がいった。「なにをしているんだ。はやくマウンドへ行け!」。高橋明の目に感謝の涙が溢れた。川上の人育ての名セリフである。

 マウンドに立つと、防府から応援に来ていた両親はネット裏席にはいなかった。高橋明は62年0勝2敗、63年14勝13敗(完封3、無四死球5)、64年12勝14敗…。巨人10年、西鉄2年、2006年、64歳で逝った。いまは防府市岩畠の極楽寺で両親といっしょにねむっている。

「ニューヨークミラー」紙の気迫記者、アメリカ、NY州クーパーズタウンの野球の殿堂・博物館館長、ケン・スミスがダリル・スペンサーはMLBで3本の指に入る猛烈走者だと教えてくれても私はピンと来なかった。53年秋、日米野球で来日したNYジャイアンツの一員だったが巨人の大友工に4打席4三振。この印象が強かったからである。

 スペンサーは64年、阪急に入団した。その朝名古屋に着いた私は仕事が夜だったので、中日球場へ中日―阪急を見に行った。空いていたのでちょうど三塁が目の前の席で見ていた。スペンサーが左翼に本塁打を放った。三塁ベースを回るとき彼の唇は紫色になり、ぶるぶると震えていた。この緊張と純な想い。きっと活躍する。ものいわなかったが名セリフと言えた。

 公式戦が始まると、安打すると猛スライディングで二塁手、遊撃手を飛ばした。ケン・スミスから手紙。スペンサーについての問い合わせではなかった。「サダハル・オーのサインボールをたのむ」。王貞治はやっぱり凄い。

最終更新:3/14(水) 16:46
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